不確実性への愛と嫌悪
昨日の金沢での結婚式でのこと。フィルムカメラを使っているのは僕だけらしかった。しかもいい加減なカメラだし。
古ぼけた帰路の「雷鳥」車内で考えた。
なぜ僕がLomoという確実に撮れるかどうかわからないようなソ連製カメラに気持ちが揺さぶられる理由が分かった気がした。
「確実に撮れない」こと。これに魅せられているのだ。
しかもどれほど僕が対策を立てても成功率は上がるものの不確実性が残り続ける。
また取れたとしても「不思議な写真」になることは当たり前。
僕の仕事でも何でも立ち向かい方は「確実性」を高めることに熱意を燃やす。
で、それがある程度確立すると興味を失う。ということのようだ。…