discalculia ディスカリキュリア
算数障害というと、計算だけではなく論理の組み立てや理解が苦手なことも含むようです。
まぁ、論理的な話ができなくても政治家くらいはできるようですから、なんらかの対策をするなら「論理の方より計算の方ではないか」と私は考えています。
新入会した小学校4年生のお子さんは、足し算の九九がまだまだ道具になっていない。
学校の勉強だけではなく、現代社会では足し算は不可欠だ。掛け算には必ず絡んでくるし、足し算そのものだって、色々な場で使う。
別に特別におかしなお子さんではない。だから、きっと同じくらい足し算九九ができない小学校4年生のお子さんは、かなりいるのだと思われる。
小一で身につけなければいけない文字は、二年生で習う漢字よりはるかに多いことは次の記事に書きました。
学力には「学んだ力」と「学ぶ力」の二種類があります。
学校などで問題にされるのは、主に「学んだ力」ですが一人ひとりの人間にとっては「学ぶ力」の方が圧倒的に重要です。
九九は忘れてもスマホの電卓で十分ですが、自分が物事をどう覚えるのかは、一生使える道具だからです。
「読み書き計算」は人間が人間として考えるために、欠かすことができない道具です。そして道具というものは、その「使い方」を知っているだけでは、まともに使えるものではありません。
たとえば「包丁を押したり引いたりすれば食べ物が切れる」と知っているだけでは、桂むきや千切りはできません。大根を1センチ角のさいの目に切るのでも、それなりの練習が必要です。
今年の3月末に追突事故にあって、軽いムチウチ症になりました。
30代の頃にもっとひどい追突事故で2ヶ月入院したことがあるので、今回も整形外科に行ってていねいに検査してもらいました。
とは言うものの、こういう症状に関しては、ぼくはあまり西洋医学を信じていません。30年前に整形外科ではすぐに膠着状態になり、頭痛や気分の悪さが改善しなかったので、保険屋さんに紹介してもらった鍼灸師に助けてもらっ…
人間の基本は、ほ乳類の動物であるということです。
ほ乳類を含めて、一般的な動物の場合、意思を持って環境に関わることは少ないので、行動の大半は外界からの刺激を受けての反応になります。動物たち、特に哺乳類には、感情や喜怒哀楽があることは間違いなさそうです。その面で見れば人間と動物の違いはそう大きくはないでしょう。
最近の虐待についての報道には、私は大きな違和感を持っている。
今日も、「虐待死されたとされている栗原心愛(みあ)さんの父親を傷害致死の罪で起訴する方針を、検察が固めた」というニュースが流れた。
「する必要があり、やればできることであれば、誰にでもできるだろう」などというのは妄想です。
数回取り組むくらいのことなら、踏ん張ればなんとかできるかもしれません。でも、取り組む意味がわかっていたとしても、楽しくなければ長続きはしません。
ぼくは、毎日一枚のプリントを学習することをオススメしていますが、その理由の1つは、新しい習慣を身につける練習が何回でもできることにあります。
習慣づけということで言えば、「習慣が10割」吉井 雅之著(すばる舎刊)はオススメです。