立論:Constructing Assembly

連載:会場を構成する──経験的思考のプラクティス(その6)

桂川大+山川陸
建築討論

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01. ふりかえり

本稿はこれまでの5本の原稿を踏まえた、一旦の結びを提示するためのテキストとなる。これまでの連載は、仕事としての会場構成の事例分析ということではなく、「会場を構成すること」が、人間の経験を予め考えるという今日の複雑な設計行為を思考する手がかりとなると仮説して進めてきた。簡単に振り返ると、各回のポイントは下記のように言えるだろう。

第一回 序論:経験と構成〉では、建築家の取り組みとしての会場構成の歴史について簡単に振り返りながら、現代においてなぜ会場構成の分析が建築設計、ひいては経験をつくることに繋がるのかを検討している。空間優位の検討であるcompositionから、時間感覚を導入したconstructionとして、構成という行為から設計について考えることを宣言した。

第二回 分析:「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」〉では、具体的に建築家が関わった展覧会の分析を通じて、キュレーターと建築家がどのような役割を担っていたかを分析している。展覧会において想定されている作品の経験順序と、それを空間内の移動において実現する折り合いの付け方に建築家の作業が集約されていることが分かった。

第三回 分析:「ミロ展──日本を夢みて」〉では、経験における順序から設計するということをより丁寧に分析するため、展覧会をキュレーションした学芸員自身が会場構成を行った例を扱った。作品を順に並べることと、図録編集の作業の併走の中で、観念的にある順序と身体性を伴う経験をつなぐための工夫が見てとれる。

第四回 滞在記:「ドクメンタ15」〉では、従来の展覧会という枠組みでは捉えきれない、都市内に展開する複数会場からなる芸術祭の分析を試みた。出展作家、作品のコンテクストからして複雑な題材であったため、滞在記という形で、私たち自身の経験を記述することに注力している。非計画的に見える展覧会に潜む計画性を見出すヒントを探る回となった。

第五回 鼎談:「会場を構成する」を考え直す〉では、これまでの分析の振り返りに加えて、原稿では扱いきれなかった建築家による会場構成の事例や、私たちのプロジェクトも交えながら、美術館建築など会場の枠組みとしても機能する建物も議論に加えることで、会場構成に留まらず建築設計全体に関わる論点を確認した。空間的な操作がキュレーションの何を引き受けているのかを確かめることで、経験における時間と空間の関係性が明らかになってきた。

なお、これまでの連載の分析対象について一覧表を作成した。赤色は分析対象の決定要因であり、どのような、要素に注目して「会場を構成すること」を考えたのかが見えてくる。大きくは、会場となる施設や作品形式といった物理的な条件項目と、主体的な人間の条件項目に分かれている。
グレーの網掛け以外は表の作成に伴い、今後分析を行いたい事例を記載している。まだ要因として扱えていないものや、比較検討したいものにあたる。

原稿では触れてこなかったが、連載開始前の検討にあたり、英題を「Constructing assembly」(*1)としていたことに触れておきたい。「assembly」(=会場)は本来なにもなかったところに人々が集まる場といえるだろう。本論では展覧会を主たる題材としたが、会場は人やモノが集まる形式や状況を含めた多様な尺度で考え得る。例えば、L . カーンの「ルーム」の概念に代表される用途や機能、内外の尺度を横断する空間概念は建築家の言説に現れている。「構成 construction」が対象とする会場をassemblyと定義することで、建築家の取り扱う空間的な状況が多岐に渡る現在へ応えることになるのではないかと考えてきた。また、展覧会という短時間の経験を対象とすることで、通常の建築物の設計と比して、凝縮された設計行為の分析へと繋がる可能性を感じている。このように、本連載は、「会場を構成すること」にあたってもつべき着眼点や姿勢、そして対象の捉え方を仮説的に持った状態で進行してきた。

02. 再検討

これまでの原稿では直接言及していないが、会場構成を考える上でホワイトキューブ(*2)を巡る議論は改めて重要と言える。世界中に同質な展覧会を巡回させ、作品が世に伝播する機会を生んだことを踏まえると、ホワイトキューブは否定されるだけのものではもちろんない。アルフレッド・バーによる展示規範とホワイトキューブの出現があったからこそ、作品形式が多様化し、会場に収まらない作品を生み出したり運動や態度をそのまま発表する作家が現れた。(*3)

しかし、前回の鼎談でも取り扱ったように、倉庫や廃墟がアーティストに強く求められるなか、いかに新たな建築物が提示できるのかは引き続き建築家の引き受けるべきジレンマとして残る。

個別の作品という粒度で見れば、分析を行った「ヴィデオ~」や「ミロ展」のように、あらかじめ経験の順序が想定された事物を空間に並べる、というのが会場構成の重要な点である。線形の時間的経験を、(室の境界の中とはいえ)広がりある空間として構成するということだ。このときの構成の手つきは図面や模型を介して行われるが、事物の配置はその状態が俯瞰的に経験されるわけではなく、あくまで順に巡ることで経験される。この順序への想像を指して、constructionという言葉が「構成」に充てられる。compositionは移動し、変化していく視点を想定しない。無時間で超越的な視点から決定されるからだ。

constructionは作品間を巡る運動は扱えるが、個別の作品ないしは事物と対峙するそれぞれの鑑賞者の時間は扱えない。その時間をコントロールすることは不可能であり、それは作品においても同様だ。しかし、その滞在時間の可能性を広げることは可能なはずだ。「ドクメンタ15」の各会場で見かけた「リビングルーム」(*4)としての設えは、会場への滞在可能性を引き延ばし、作品を介してコミュニケーションが起きることを促している。これは設えの問題にすぎず、各作家の裁量によるものということもできるかもしれないが、「リビングルーム」という語の提示はキュレーションとしてよく効いている。選んだ会場を場所化するために各アーティストが行った設えは、それこそ会場構成と呼ばれるべき行為だろう。なぜこの作品の隣にこのようなソファを置くのか、といった個別の判断には、経験への洞察が含まれている。

これまでの連載では扱えなかった作家が会場を構成する主体となる一覧表の04、05のような事例についても今後分析を進めていきたい。アーティストの廃墟や倉庫を求める気運は、見た目は全く異なるものの、ホワイトキューブへ作品をcompositionしていた時代の再来と言えないだろうか。本来個別の場所性と時間の重なりを有していたそれらの場所は、いまや同質化したものに見えている。だからこそ、鑑賞する空間領域としてのassemblyを読み解き、その経験を想定するconstructionの観点を探ることは、置かれる作品の背景(地)となる空間の設計においても有用な視点を生むはずだ。

03. 結

ここまで連載の振り返りとともに「会場を構成する」ことについて考えてきたが、菊竹清訓による建築設計に関する三つの概念レベルの分解「か・かた・かたち」に照らして整理してみたい。「か・かた・かたち」にならって、会場を構成する概念で並べた「construction・assembly・X」と考えてみる。constructionは、設計において時間を抜き落とすことなく取り扱うことの宣言であり、assemblyはその対象とする事物を抽象・具象の如何に関わらず設定する。ではXにあたる、かたちにするための概念はなんだろう。これまでの分析において、具体的な会場を構成する事例には常に作品そのものやキャプション、什器といった実に存在する物が鑑賞者の動きを支えていることが明らかになっている。物理的に身体の向きを誘導したり、意味を深掘りする手助けとなったり、その機能するレベルは様々だが、それらは「guidance」(*5)と言う言葉でまとめることが可能ではないか。

結にして、また今後も続けていく分析に向けて予期的に書くと、建築物の設計においても同様に人をguideする要素が様々なレベルで存在しており、様々な水準にある情報をひと連なりの経験で縫うようにつないで扱うことこそが、設計行為だと考えたい。この観点で具体的な分析を深めると、constructionやassemblyといった姿勢や概念に留まる議論から、具体的な操作を含んだ議論が可能となるはずだ。

主に美術の展覧会について分析してきた本連載を、まずは対象の特定と方法的に思考するために必要な概念の設定まで至ったものとし、今後の分析に向けた一旦の結びとしたい。

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注釈

*1 assembly
柄谷行人によればassemblyには公/民2つの側面で意味が存在する。柄谷は『ニュー・アソシエーショニスト宣言』の中で、ルソーの理論を引用しながら直接民主主義的な意味での「集会」と、間接民主主義的な意味での「議会」の二重の意味をもっていた、と述べる。また集会の代表例として「デモ」を挙げる。ドクメンタ15に出展したタリン・パティの<People’s Justice>のように「ドクメンタ15」は集会することを扱う典型であったし、民衆による広い運動を許容する文化施設・空間運営がこれから求められ、実践されていくように思う。また、筆者はassemblyについてL・Iカーンの「ルーム」の概念のように物理的な環境だけを受け入れる場所ではない空間の名付けだと考えている。他にフォレンジック・アーキテクチャ(FA)のEyel. Weizmanは一連の科学的な検証のフィールド、検証する物事が現れる都市的な技法について公表する場に対しassemblyを当てる。物事の検証が現れる場への美学(Forensic Aesthetics)が彼らのHPでの映像や展覧会に垣間見える(図参照)。これらのように公/民の境界を超えるモノの集合について、そのレイアウトや技法について探るプロセスやその美学は今後立論したい内容だ。(桂川)

東京大学中井悠先生による表象文化論実験実習III「フォレンジック・アーキテクチャ」を受講した際の筆者による講義内の報告資料の一部

*2 ホワイトキューブ
展覧会を開催する建築物、場所に関わらずどこでも同じ環境で純粋に作品を鑑賞することができる20世紀の発明が「ホワイトキューブ(WC)」だろう。ニューヨーク近代美術館(MoMA)で絵画の掛け方やキャプションの配置など展覧会を構成する規範となった「skied system」と同じく、館長であるアルフレッド・バーが展示規範として設えた白い立方体である。一方でWCに収まるものだけが作品として扱われることに対する批判が現れる。「documenta5」(1972)ではアートディレクターであるH. ゼーマンに対しD. ジャッドやR. スミッソンらによる抗議運動が起きた。その抗議の主旨はミュージアムの展示室、つまりWCの一角に作品を押し込むキュレーションに対してであり「exhibition for exhibition(展示のための展示)」と強く批判している。ただ、このような批判的な空間を有した会場の好例はどれほど存在したのかまだ調査不足だ。近代美術におけるWCの果たした役割を考慮しながら、脱WCの展示空間での作品のあり方、空間の計画に対して応答してきたのが現代の美術空間といえるだろう。(桂川)

*3 リビングルーム
ドクメンタ15をキュレーションしたインドネシアのコレクティブ・ルアンルパは複数のキーワードを参加コレクティブ、アーティストらに提示している。コミュニティでシェアされる米倉を表す「ルンブン」、インフォーマルな集会の形式「マジェリス」など。「リビングルーム」は彼らの活動拠点であるジャカルタで、住宅のリビングルームが半公共空間的に、地域や友人知人に開放され、そこで集い時間をともにしていることから、ドクメンタ15の場のつくり方の重要なキーワードとして扱われている。しかし、これは「集い」という結果的な状況を重視しているのではなく、「集っている」というオンゴーイングに時間と空間が共有されていることが重視されているのではないか。ドクメンタ15の各展示は、鑑賞し、思考することに時間を要するものが多い。作品それじたいは時間のボリュームや制約を鑑賞者に課すことはできない(劇場公演される演劇やダンスは、仕組み上共時的な体験を発生させやすいが、展示はその拘束が弱い)。そこで、「リビングルーム」として会場や展示方法をつくることは、共時的な体験の発生可能性を高める。(山川)

*4 guidance
ジェームス・ギブソンの提唱した「アフォーダンス」という概念は設計においてよく引き合いに出されてきた。物や状況による人間へのある振る舞いの要請、自然にそのように動いてしまう喚起、といったものが語の意味として想像しやすい。しかし、元来のアフォーダンスとは、物や状況が喚起する無数の選択肢すべてを指す言葉であり、ひとつの解を示すようなことではないそうだ。
アフォーダンスという言葉が経験を考える上で有効ではないと考える理由は、そこに前後関係や因果がなく、切断された経験として、物や状況と対峙した人間のある部分的な時間だけがあるためだ。
一方、ガイダンスとは、ある事物の前後も含めて、積み上がる経験として考慮される。また、この言葉においては、人も物も状況も、等しく情報として扱うことが可能である。(山川)

*5 内覧会
建築における様々なレベルのguidanceが一度に経験として現れるのが、建築物の内覧会である、と言えないだろうか。初めて訪れる建築物を、身体の移動とともに順序とともに来場者は経験していく。移動の中で設計者により語られることは、時に大きな図形的な構成の話であり、またときにはディテールについて、またクライアントの人柄であったりする。この順序だててしか語りえない制約の中での語りに、建築を経験として思考する手がかりがあるのではないだろうか。時間を抜き落とさず思考する上で、語りー広く言えばパフォーマンスに関わる議論が建築の設計やプレゼンテーション、立ち上がる建築物にも有効なのではないかと考え始めている。(山川)
11月に京都市内の12会場に展開された建築展「Architecture Pass Kyoto」を鑑賞した際、建築物を体験する内覧会と建築が生まれる思考が空間に現れる展覧会の2つの側面が同居し、都市での経験を含めた枠組みとして京都の街中に成立していた。文化施設を観光の対象として開き保存する動きに合わせて、改めて鑑賞することやその空間のあり方が問われている。同時期に開催された「京都モダン建築祭」での建築物の鑑賞とも比較すると対話型や誘導型のような鑑賞をどうガイドするかが空間をつくる手立ての手がかりになり得る。その意味で鑑賞行為を直接アフォードすることに収束しない「guidance」という言葉を用いた。(桂川)

桂川大+山川陸 連載「会場を構成する──経験的思考のプラクティス」
・その1 経験と構成
・その2 分析:「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」
・その3 分析:「ミロ展──日本を夢みて」
・その4 滞在記:「ドクメンタ15」
・その5 鼎談:「会場を構成する」を考え直す

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桂川大+山川陸
建築討論

かつらがわ・だい(左)/STUDIO大主宰。1990年生まれ。2016年 名古屋工業大学大学院博士前期課程修了。2019年- 同大学院博士後期課程在籍。| やまかわ・りく(右)/一級建築士事務所山川陸設計代表。1990年生まれ。2013年 東京藝術大学美術学部建築科卒業。