035 | 201909 | 特集:都市と政治──「壁」と「広場」から見えるもの
City and Politics — What can be seen from “Wall” and “Square”
目次
- 政治空間論:東京を「広場」と「壁」から考える―大都市における権力と空間/御厨貴(政治学者、政治史学者)
- グローバル都市論:ネオリベラリズムの「危機」以後の都市と政治/丸山真央(政治社会学、都市研究)
- 広場論: 明日、すべての広場で/港千尋(写真家、著述家)
- 壁論:二元論の「壁」を越えて:分断の場から創造の場へ/稲垣拓(建築家)
特集前言
「壁」と「広場」は、都市と政治の関係を考えるうえでの、重要な要素になると思われる。
ベルリンの壁が崩壊したのは1989年であり、1990年代にはEUやインターネットに代表されるよう、グローバリゼーションとともに世界の中の様々な「壁」が取り除かれていった。しかし、2000年代以降の世界では、むしろ「壁」が増えてきている。イスラエルとパレスチナの分離壁は2002年から建設され続け、バンクシーはそれを風刺するように「世界一眺めの悪いホテル」(ウォールド・オフ・ホテル)を開いた。ハンガリーは大量に流入する難民を防ぐため、2015年と2017年にセルビア国境にフェンスを建設した。このフェンスは、カミソリの刃が仕込まれていたり、電流が流れていたりするという。そして2017年にアメリカ大統領となったドナルド・トランプは、メキシコとの国境に長大な壁の建設を公約に掲げた。実際に、様々な壁の案が提示されているが、メキシコの設計事務所Estudio 3.14のように、ルイス・バラガン風のピンクを用いた巨大な壁の案を提示することによって、壁の建設を皮肉る建築家もいる。このような「壁」の増加は、千葉雅也が示唆するように、世界が「接続」から「切断」に向かっていることの兆候でもあるだろう。
一方、「壁」の存在と対象的なのは、「広場」である。民主化を求めて天安門広場に100万人以上のデモ隊が集結した天安門事件も、同じく1989年のことである。アラブの春の一環としてエジプトでムバラク政権を打倒したデモ(2011年)は、タハリール広場に20万人が集まったし、逃亡犯条例の成立の撤回を求めて200万人が集まった香港のデモ(2019年)は、ビクトリア公園から行進を開始した。しかしこのような「広場」は、もはや民主主義における最後の望みの綱として機能している。
このように、今日的な政治的な諸力のせめぎあいは、都市において「壁」や「広場」のあり方に兆候的に現れる。「接続」の象徴である「広場」と、「切断」の象徴である「壁」は、現在の世界を読み解く重要な鍵だと言えるだろう。また「壁的なもの」や「広場的なもの」は、都市において目に見えないかたちでも現れる。格差はあらゆる場所に目に見えない「障壁」を生み出しているし、SNSはインターネット上の「広場」であるともいえる。またプレイス・メイキングは、都市における居心地の良い「広場」の獲得運動だとも言える。
本特集では、これまで決して多く扱われてきたわけではない都市と政治の関係について、多面的に検討していきたい。政治は都市をどのように変容させてきたのか?都市風景の変化は、政治的観点からいかに説明できるのか?都市をよりよくするために、政治ができることとその限界はどこにあるのか?このような種々の疑問に対し、本特集では「壁」や「広場」をキーワードとしつつ、多面的な検討を行う。(松田達)