ジェンダーと建築を語るためのヒッチハイクガイド

| 067 | 202301–03 | 特集:Mind the Gap

Shoko Fukuya
建築討論
29 min readFeb 25, 2023

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[文=福屋粧子 ]

この記事はジェンダーと建築をつなげて考え語りたい人向けの、手描きの地図(ヒッチハイクガイド)として作成したものである。特集を企画した際、どこから何を調べればいいのか、何の本を読めばいいのかさっぱりわからず、途方にくれたからだ。なぜ女性建築家は少ないのか」「そもそも、多いのか少ないのか」の答えはいまだに出ないが、拾い読みするための地図、考えるための地図を公開することで、そこから生み出されるアイデアが、ジェンダーを超えて、建築設計や議論の世界をより豊かにするものであってほしいと考えている。

1:ヒッチハイクガイド年表
2:日本のジェンダーギャップ
3:日本の建築界のジェンダーギャップ
4:女性建築家の先駆者の歴史
5:フェミニズムの歴史
6:女性建築団体の歴史
7:建築のジェンダー・ジェンダーギャップの研究・出版
8:ジェンダーを考えるためのブックガイド

1: ヒッチハイクガイド年表

1850年代から2020年代までの、日本・欧米での社会運動(特に女性人権関係)および建築家・建築団体の活動を年表で記載した(参考文献は下記7、8)。筆者の学生時代は1990年代のポストコロニアル・フェミニズムが盛んな時代であったが、図を作成し、日・米それぞれのバックラッシュを記入することでフェミニズムがメインストリームでのバックラッシュに直面し、減速してアート・建築の世界を迂回しながら2000年代のポストフェミニズムに結びついていった様を想像できる図となった。また、女性関係かどうかに関わらず、建築関係団体・発表メディアの年代を記している。合わせて、インタビュー対象である長谷川・乾・貝島の活動年代を記載した。

fig.1 ジェンダーと建築を考えるヒッチハイクガイド年表(1847–2022)(作成 福屋)

2:日本のジェンダーギャップ

ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index : GGI)は、2006年から世界男女格差レポートにおいて発表されている、経済・教育・政治参加などの分野で世界各国の男女間の不均衡を示す指標である(世界経済フォーラムによる調査)。

日本のジェンダーギャップ指数は、教育と健康において指数が高く、経済参画(専門・技術者の男女比など)・政治参画(国会議員男女比)などで指数が著しく低い状況である。ニュースでは毎回相対順位が話題になるが、2015年以後はスコアそのものが低下している。

fig.2 内閣府男女共同参画局発表 G7各国のジェンダー・ギャップ指数の変化(2006–2021)
fig.3 内閣府男女共同参画局発表 日本のジェンダー・ギャップ指数の推移(2006–2021)
fig.4 内閣府男女共同参画局発表 日本のジェンダー・ギャップ指数(2022) 116位/146か国

3:日本の建築界のジェンダーギャップ

日本建築学会『作品選集』の32年間(1990-2021年)の発表作品について、発表者を男女に分類し、女性設計者の割合を(女性設計者数/全設計者数)、筆頭女性設計者の割合を(女性筆頭設計者数/全筆頭設計者数)で求めた。

fig.5 AIJ「作品選集」の32年間(1990–2021年)の発表作品中の女性設計者の割合(作成 福屋)

女性設計者率の最大値は2021年の12.28%。2021年には、掲載者のうち、およそ8人に1人が女性設計者である。青線の女性設計者率は、1990年の1.98%から2018年の10.78%まで、上昇と下降を繰り返しながらも、31年間で徐々に増加している(年増加率0.3%程度)。

女性筆頭設計者率の最大値は、2006年の7.07%。年ごとのばらつきが大きく一定の増加傾向があるとは考えにくいので、2006年から2021年の平均をとると3.69%、筆頭設計者のうち、およそ27人に1人が女性設計者である。
2018–2021年は5%〜7%で上下して停滞している。

また別の見方をすれば、掲載されている女性設計者のうち4割程度が筆頭設計者であると言える。

4:女性建築家の先駆者の歴史

世界の女性建築家の先駆者は、19世紀から活動を始めている。アメリカのルイス・べシューンが1888年にAIAアメリカ建築家協会初の女性会員になっている。その他、1869年に住宅でパテントをとったハリエット・アーヴィン、ソフィア・ハイデンなどがアメリカで設計活動を行い、1920年にイギリスでは女性の部分参政権が認められるのと同時に、AA初の女性会員が誕生した(五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』2010, p.130)。

世界の女性建築家の作品と歴史について、1985年にはアメリカ・ヴァージニア工科大学の国際女性建築アーカイブ IAWA(The International Archive of Women in Architecture)が設立され、1950年以前に活動した草創期の女性建築家の資料を中心に収集している(UIFA JAPON『未来へ 女性建築家のパイオニアたちの肖像』2013, p.75)。

Jane Hall “Architecture by Women、Breaking Ground”では、アメリカ・ヨーロッパ・アジアを中心に世界各国の180人の女性建築家について、1912年から2019年の212作品を紹介している。

欧米でのフェミニストと建築の活動については、本誌『建築討論』の連載でもテーマとなっている。

  1. 1970年以後の状況: 根来美和、改めて、ジェンダーから建築を考える 1「建築、空間、ジェンダーを巡る言説をふりかえる──1970年代から現在まで」
  2. 2020年代の状況:鮫島卓臣 前衛としての社会、後衛としての建築──現代アメリカに見る建築の解体の行方「「普通」を解体する:多様性社会に向けた建築界の課題

日本の女性建築家の先駆者には、1920年代にアメリカから帰国して設計活動を行った土浦信子(土浦亀城の妻)、1940年代に設計活動を開始し、1948年に浜口ミホ住宅相談所を開設した浜口ミホ(浜口隆一の妻)などがいる(UIFA JAPON『未来へ 女性建築家のパイオニアたちの肖像』2013, p.30)。

第二次世界大戦後、1949年に日本女子大学家政学部生活芸術学科住居学専攻が設置され、女性が建築を学ぶ場が、住居学系(林雅子1949年卒など)、工手学校系(吉田文子1931年卒など)、留学系(タリアセンより1923年帰国した土浦夫妻など)、工学部系(富田玲子1961年卒など)に広がる。

戦後の日本の女性建築家の活動については、雑誌2022年1月号『A+U』特集 住居学と日本の女性建築家、女性と仕事の未来館により開催された展覧会2002年9月『女性と建築展ー仕事と家庭の両立を支援する住まい・まちづくりにむけてー』、雑誌2023年2月号『建築ジャーナル』特集 女性建築家の歴史 において、1950年代を中心に草創期の女性建築家の活動が記録されている。

また、日本での草創期の女性建築家について、2008年に設立された独立行政法人国立女性教育会館(NWEC)女性アーカイブセンターではUIFA JAPONの協力のもとに『建築と歩む』の展示を2012年に行った。

5:フェミニズムの歴史

女性の権利運動は欧米からはじまり、19世紀から20世紀初頭に女性参政権を求めたリベラル・フェミニズムによって、当初は家庭責任のない若年女子のみが労働者として出現した。1960年代の賃労働者+主婦層の成立と学生運動を経て、1970年代に男女の賃金平等や家事労働論争、中絶の権利の獲得など「個人的なことは政治的なこと」をスローガンとしたラディカル・フェミニズム(女性解放運動)が起きた。

その反動として1980年代に新自由主義と歩調を合わせてバックラッシュ(反動、揺り戻し。特に男女共同参画、ジェンダー運動などに反対する運動)が起きた。1990年代にはラディカル・フェミニズムでは白人女性に偏っていた活動とは異なる立場、人種的マイノリティーや性的マイノリティー(LGBT)を含めたより広い参加者が担うポストコロニアル・フェミニズムや、クイア理論、ガールズパワーに分岐していった。

乾のインタビュー中にもある、ビアトリス・コロミーナを中心とした空間ジェンダー論は、1990年代に始まった。これは1980年代のアート界でのジェンダーからの作品再読が建築界に波及したものと解釈できる。

日本でのリベラル・フェミニズムは、1899年の高等女学校令、私立学校令の公布と前後して、女学校・女子英学塾などが開校する前後から始まった。1911年平塚らいてうが女性文芸誌『青鞜』を創刊し、1920年代から婦人参政権運動が盛んになる(実際の日本の女性参政権実現は1946年)。1947年の教育基本法制定で男女の教育機会が同等になったあと、女子学生増加を苦々しく感じた私学教授たちが「優秀な女子が入試を突破することで、男子がはじき出される」ことを憂う1962年「女子学生亡国論」が雑誌週刊新潮で大々的に論じられたそうだ(中日新聞 大波小波2020年6月23日)。

1970年には海外のラディカル・フェミニズムの影響を受けた日本初のウーマンリブ大会が開催され、1985年には、現代の労働者状況を決定づけた3制度が同時に公布された。「男女雇用機会均等法」「国民年金 第3号被保険者制度」「労働者派遣法」である。英文学者 河野真太郎は「それによって女性たちは、キャリアウーマンと主婦と非正規労働者の三者に分断されていった」と指摘している(2020年『現代思想』フェミニズムの現在より)。1984年に上野千鶴子がマルクス主義フェミニズムの著作の翻訳を開始している。1997年「改正男女雇用機会均等法」の制定により、セクシャルハラスメントに対する雇用側配慮が義務となり、採用・昇進・教育訓練などでの差別が禁止となった。

一方、世紀の変わり目前後で、日本でのバックラッシュが起き、若者の「保守化」がそれに続いた。それ以降の「フェミニズム離れする女性」や「フェミニズムは終わった」=「フェミニズムを主張することは、流行遅れでカッコわるい」という価値判断が、日本においては2000年代後半から現在までのポストフェミニズムと呼ばれる状況である(高橋幸『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど ーポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ』より)。

6:女性建築団体の歴史

女性による建築団体の創設は、日本が先駆けていた可能性が高い。1953年にPODOKO(ポドコ・日本初の女性建築関係者組織)を28人の女性会員が立ち上げている。時期は1952年の建築士会の都道府県化と前後し、雑誌『婦人画報』からの依頼を機会として1953年に発会式を行ったようだ(雑誌『モダン・リビング』という小川信子らのインタビューもある)。1949年に設立された日本女子大学住居学専攻を卒業した林雅子・山田初江も参加している。PODOKOは1957年まで会誌を発行した。1963年第1回UIFA世界大会以後に世界各国で開かれたUIFA世界大会へ参加したメンバーも増え、「積極的に今後の国際社会に貢献するとともに、大会の主催者として世界の女性建築家を日本に招き、交流し、現在の建築や都市にかかわる課題について議論しあう機会を作る」ために、1992年に中原暢子初代会長を中心に日本支部としてUIFA JAPONを設立し、1998年には第12回大会を日本で行った(松川淳子・中島明子・杉野展子・宮本伸子『日本における戦前戦後の草創期の女性建築家・技術者』2003年より)。

UIFA(Union Internationale des Femmes Architectes)は、フランスのソランジュ・デルベッツ・ド・ラ・トゥール(Solange d Herbez de la Tour ルーマニア出身)によって創設された、すべての国の女性建築家と都市計画家の間に関係と交流を築くなどの設立目的をもつ、国際建築関係者団体である。1963年の第1回UIFA 世界大会には日本を含む9カ国78人が参加者しており、2015年に第18回大会をアメリカで行った(長谷川のインタビュー中にある、フランスの女性建築家団体との関連も考えられる)。

UIFA JAPONは現在正会員70名賛助会員6名で、森田美紀会長を中心に活動しており、会員相互の交流や、2015年のUIFA会員を中心とした各国の女性建築技術者のキャリア調査、2011年にはIAWA25周年記念として建築会館など8会場で『未来へ 女性建築家のパイオニアたちの肖像』巡回展覧会、被災地支援などを行っている(広報紙NEWSLETTER、月報D’ AUJOURD’ HUIなど参照)。

7:建築のジェンダー・ジェンダーギャップの研究・出版

AIJ建築雑誌関連では、1988年7月号『建築雑誌』で延藤安弘・太田邦夫の編集により特集「女の建築・男の建築」が組まれている。巻頭の長谷川逸子と芦原義信の対談は「男の建築・女の建築」とタイトルの男女が特集となぜか逆順になっているが、そちらから抜粋した。

20年後の2008年8月号『建築雑誌』では、平塚桂の編集に特集「建築ガールズパワー」が組まれ、永山祐子・大西麻貴が登場している。

他紙では、『SD』1985年4月号特集「長谷川逸子」で、編集長の伊藤公文がタイトルをつけた「建築のフェミニズム」が収録されている(インタビュアーは多木浩二)。

その他の異色の出版としては、2016年5月号『建築画報』特集「かがやく女性・かがやく組織 日本設計の考える環境」において、プロジェクトの担当説明者がほとんど女性という特集が組まれている。

その他、ジェンダーギャップや女性の働き方に関する調査として、存在が確認できたものを記す(内容の詳細な把握までは至っていない)。

2007年3月のAIJ男女共同参画における建築学に関する特別研究委員会 男女共同参画社会と建築学(中島明子委員長)のもと、男女共同参画推進委員会(2007年7月発足)の基礎データが収集された。

同時期および継続研究として、趙玟姃・小伊藤亜希子ほか6名「住居系・建築系学科女子卒業生におけるキャリア継続の阻害要因に関する研究」(2008年3月計画系論文集)、趙玟姃「建築系・住居系分野における仕事と生活からみた男女共同参画に関する研究」2009年大阪市立大学博士論文、小伊藤亜希子、江川紀美子、郷田桃代、榊原潤、安武敦子「建築業界民間企業で働く方々への働き方とワークライフバランスに関するアンケート」中間集計報告:2011年度日本建築学会大会(関東)(webアンケートの有効回答数514/男420/女94)がある。

冒頭の女子学生率について参照した研究は、長澤夏子らによる「建築系大学卒業生の進路調査の経年分析」2014年である。類似調査の最新版は残念ながら見つけられなかった。

UIFA 会員では、2015年の大会に合わせた調査として「各国の女性建築技術者のキャリア形成とライフスタイル」が行われた。

よりカジュアルな記録としては、2016年東洋大学 男女共学100周年 記念事業 「女性建築家からみる これからの男女共同参画社会 」の資料で東洋大学工藤和美研究室によって、女性建築家のリストと6人のヒアリング記録が残されている。

AIJでは2008年男女共同参画推進行動計画を発表し男女共同参画推進委員会を中心に、2011年3月に小伊藤亜希子ほかによる調査を行っている。

8:ジェンダーを考えるためのブックガイド

8–1 世界の女性建築家/世界における女性と建築

Jane Hall “Breaking Ground : Architecture by Women” (2019)
1912年から2019年までの各国の女性建築家180人の、212作品の写真と解説を、名前のアルファベット順に掲載した世界女性建築家辞典。著者のジェーン・ホール(1987年生まれ)は、現代アート大賞「ターナー賞」を受賞したロンドン拠点の建築家集団〈アセンブル〉Assemble のメンバー。英語版。

Sena Sekulić-Gvozdanić “Žena u arhitekturi”(1998)
クロアチアの建築史家セナ・セクリッチ・グヴォズダノヴィッチによる、「建築界の女性: 建築史における女性クリエイターと女性理論家の足跡をたどる」書籍。クロアチア語版と英語版があるようだが、いずれも現物未確認。(書影は長谷川逸子氏提供)UIFA JAPON有志で読書会を行い、英語版から日本語への翻訳を行った(UIFA JAPONより)。

“That Exceptional One, Women American Architecture 1888–1988” (1988)
1888年から1988年までのアメリカの女性建築家の歴史の展覧会カタログ。(AIAアーカイブ)リンクは英語版。

8–2 1990年代の空間/ジェンダー論

Beatriz Colomina “Sexuality and Space” (1992)
1990年のプリンストン大学でのシンポジウムを起点とした、コロミーナ編集による日常に隠されたセクシュアリティと空間の関係に焦点を当てた11編のアンソロジー。

ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築、アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』 松畑強訳 、鹿島出版会(1996) (原著 Privacy and Publicity: Modern Architecture As Mass Media, Adolf Loos and Le Corbusier The MIT Press, (1994))
アーカイブ/都市/写真/広告/美術館/室内/窓 という、近代建築に不可欠な要素を切り口として、近代建築の巨匠のアドルフ・ロースとル・コルビュジエの建築とメディアとの関係を対比的に読み解く本である。同時期に邦訳された『戦線──「E1027」』ビアトリス・コロミーナ(篠儀直子 訳)Battle Lines: E.1027 | Beatriz Colomina『10+1』 №10とともに、話題となった。

五十嵐太郎『住まいの思想 -性差(ジェンダー)から空間を読む』(1998)(住について考えるための基本図書 9)
1998年夏号『すまいろん』からの転載による、webブックリスト。住総研図書室所蔵の書籍を中心に、建築とジェンダー/隠蔽されたジェンダー/闘争のジェンダー論/ジェンダーの解体へ、などの項目を中心に26冊を紹介している。

8–3 日本の草創期の女性建築家・女性技術者/日本の組織設計における女性建築家・女性技術者

女性と仕事の未来館 報告書『女性と建築展』2002
厚生労働省 女性と仕事の未来館(2000年開館、2011年に事業仕分けで閉鎖)での展覧会およびシンポジウム報告書。(中島明子和洋女子大学名誉教授提供)内容は女子学生比率データから初期の女性建築家の活動、女性と仕事と生活空間の戦後史(1945–2000)など。日本語。

UIFA JAPONIAWA設立25周年を記念して <未来へ>女性建築家のパイオニアたちの肖像』巡回展覧会の記録 2013
国際女性建築アーカイブ IAWA 1985年設立25周年を記念し、2011年6月建築会館ギャラリーで10日間の展示を皮切りに8会場で行われた展示会記録集。日本の草創期の女性建築家・女性技術者について、主に1960年代前半までの日本人7人海外9人のパイオニアを紹介している。日米女性建築家年表(1855–2011)を掲載。日・英併記(ものつくり大学宮本伸子氏提供)。

2016年5月号建築画報 』特集「かがやく女性・かがやく組織 −日本設計の考える環境−」
日本設計の女性建築家・技術者が各プロジェクト別に登場する特集号。まずは登場人数に圧倒される。「働きやすい組織像」では女性社員7人が働き方、生活、子育て、目標について語っている。

8–4 女性建築家の作品とインタビュー

2008年8月号『建築雑誌』特集「建築ガールズパワー」(2008)
学会誌2回目のジェンダー関連特集五十嵐太郎編集委員会、建築ライター ぽむ企画 平塚桂の編集による特集号。「ガール」をキーワードとして、女性建築家・女子建築学生の躍進についてリポートしている。永山祐子・永山紀子・富田玲子・大西麻紀・宮晶子・井坂幸恵の対談を収録し、他の特集よりは現代の女性建築家が多く登場している。2008年にAIJ(当時斎藤公男会長)が男女共同参画推進行動計画を男女共同参画推進委員会(当時中島明子委員長)起草により発表した時期の直後の特集。

2022年1月号『A+U』特集「住居学と日本の女性建築家」(2022)
インタビュー対象であるアトリエ・ワンの貝島桃代をゲストエディターに迎えた特集号。日本女子大学家政学部生活芸術学科住居専攻は、戦後すぐの1949年から設置されたこともあり、長年、日本の女性建築家のメインストリームであった。(話題はずれるが、筆者の母も住居専攻の出身である)特集では同時代の日本の女性建築家の作品を概観し、加えて日本女子大学の初代卒業生である林雅子の作品からはじまり、住居学を学んだ卒業生の作品が時系列でカラー写真で紹介している(カラー撮影でまとまった資料はほぼ初めてか)。日本女子大学は2024年より建築デザイン学部を開設予定である。(書影は貝島桃代インタビュー参照)

2023年2月号『建築ジャーナル』特集「女性建築家の歴史」(2023)
浜口ミホの住宅および活動を中心に、日本の草創期の女性建築家が特集されている。土浦信子・吉田文子・浜口ミホ・小川信子・奥村まことの作品と建築家像が詳しく紹介され、豊富な白黒図版によって、より彼女たちを身近に感じることができる。また、スイスで活動する上田佳奈による浜口ミホの記事、より若い世代の平尾しえな(東京工業大学博士課程)による浜口ミホの住宅改修記録があり、再評価が若い世代の建築家に広がっていることを感じさせる。

日本女子大学住居学科同窓会・住居の会編『卒業生白書 2837人からのメッセージ』住まい学体系059、住まいの図書館出版局(1994)
日本女子大学住居学科の卒業生の集まりである「住居の会」の1951年から1993年の卒業生千人以上からの回答による1990年の実態調査と1991年シンポジウムによる記録書。卒業後就職先での勤続年数など、興味深いデータも掲載されている。(書影は貝島桃代インタビュー参照)

1990年6月号『SD』特集「女性と住環境 アメリカ編」(1990)
北米で活躍する女性建築家とデザイナー26人が掲載された、建築家 佐藤俊郎の企画・編集協力による特集。AIAの女性入会100年を記念した展覧会『例外的な人:アメリカ建築における女性1888年-1988年』が紹介されている。また1983年AIAアンケートによるジェンダーギャップ調査が掲載されているほか、デニス・スコット・ブラウンの有名なエッセイ『女性建築家は頂点に立てるか?建築における女性差別とスターシステム』(Denise Scott Brown, ”Room at the Top? Sexism and the Star System in Architecture”, 1989)の原文と翻訳を読むことができる。Ellen Perry Berkeley & Matilda McQuaid編集による “Architecture : a place for women”, 1989, Smithsonian Institution Press も部分引用されている。アメリカ建築における女性の歴史年表も参考になる。ラディカル・フェミニズムが建築界に押し寄せてきた時代を感じる特集号。

8–5 欧米圏の1990年以後のフェミニズム(=ポストフェミニズム)

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル −フェミニズムとアイデンティティの撹乱−』(1990)
フェミニズム/クィア理論の古典的著作。セックス/ジェンダー/欲望について、精神分析や哲学を元にフェミニズム/クィア理論を展開している。現代思想家のフーコー、ラカン、フロイト、クリステヴァへの言及もあり、文字も細かく難解だが、現代のジェンダースタディーズの起点である。

ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』(2000)
アフリカ系アメリカ人の女性社会活動家ベル・フックス(本名グロリア・ジーン・ワトキンズ)による、フェミニズム入門書。1981年『わたしは女じゃないの?―黒人女性とフェミニズム』で当時のラディカル・フェミニズム(白人女性中心)を批判し大きな影響を与えた著者だが、2000年にフェミニズムの現状に危機感を抱いたことから執筆した本。日本では2003年出版後絶版となっていたが、2020年復刊。平易な語り口によって新しい世代のフェミニストに歴史を渡すことを意図した入門書。

レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)
フェミニズムもしくは女性が置かれた様々な状況をめぐるエッセイ/論考を収めた書籍。表題の『説教したがる男たち(Man Explain Things to Me)』(2008)はパーティーでの会話で(彼女が著者であることを気づかずに)ある本についてああだこうだと説明を始めるあるある話から、女性に向かって説明好きな男性を描き出している。このエッセイを発端として、マンスプレイニング(Mansplaining)という新語が生まれた。

8–5 日本の1980年以後のフェミニズムとポストフェミニズム

上野千鶴子『家父長制と資本制 −マルクス主義フェミニズムの地平−』(1990)
社会学者による日本のマルクス主義フェミニズムの初期の著作。著者が30歳代のときに元原稿が書かれており、1980年代の日本におけるラディカル・フェミニズムの言説の気配(日本の家事労働論争)も残っている。ブルジョア女性解放思想(リベラル・フェミニズム)から距離をとったマルクス主義フェミニズムの重要性を宣言し、家父長制patriarchy=支配的地位と特権的地位が主に男性によって保持される社会システムもしくは paternalism)の延命装置としてのロマンチックラブなどに着目して論を展開している。2023年1月のTV番組 NHK『100分deフェミニズム 』にも、加藤陽子 、鴻巣友季子 、上間陽子、バービーとともに登場し、現役の元祖フェミニストとして元気な姿を見せていた。上野は山本理顕ほか著『地域社会圏主義 』など、1990年代より建築論壇との関わりもある。

高橋幸『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど (ポストフェミニズムと「女らしさ」のゆくえ)』(2020)
1983年生まれの社会学者によるポストフェミニズム入門書。1990年代以後の「もうフェミズムは終わった」とするフェミニズムを無効化しようとするフェミニズム不要論・ポストフェミニズムについて、欧米および日本の事例を分析している。英語圏での2013年ごろのSNSのハッシュタグ・アクティビズム #WomenAgainstFeminism(私がフェミニズムを必要としない理由)や、日本の2000年代の女性誌におけるめちゃモテブームに言及しながら、フェミニストとポストフェミニストの差異を描き出している。(ダイアグラムも多い)フェミニストが改善を目指して措定してきた女性像−−「犠牲者」「非抑圧者」、性的に「客体化」された存在−−への違和感、ポストフェミニストにとってフェミニズムは「ネガティブな女性像を言い立てて、<女性の活躍>に水を差す存在」であるとバッサリ指摘しつつも、著者は常にフェミニストとポストフェミニストの両義的な立場をとる。学生時代にバックラッシュを体験し、「ジェンダー」や「フェミニズム」という語を口にすることの恐怖を感じたことを淡々と述べるあとがきも興味深い。

2020年3月臨時増刊号『現代思想』総特集 フェミニズムの現在(2020)
コロナによる社会・経済ショックへの直前の特集号。主に日本のポストフェミニズムを再考する視点からの記事が多い。巻頭の菊地夏野、河野真太郎、田中東子の対談では、1990年代後半には「ジェンダーはもう古い」「ジェンダーは就職先がない」と言われ、アカデミズムに就職する際にジェンダー論を選ぶのは勇気がいる選択だったとの記述もあり、1990年代のジェンダー論の興隆と急速な衰退の様子を建築以外の世界から垣間見ることができる。時代的に#MeTooやアナ雪、逃げ恥などの2020年代近辺の社会文化への言及もあり、意外にも読みやすい。巻末の深澤真紀『女性視点の日本近現代史から見えるもの』は、本ヒッチハイクガイド作成に非常に役立った。

河野真太郎『新しい声を聞くぼくたち』(2022)
英文学者 河野真太郎による、漫画・映画・小説のキャラクターを題材にした男性学入門書であり文芸批評。饒舌でスピーディーな語りでついつい話に引き込まれる文体は、スラヴォイ・ジジェクの『ヒッチコックによるラカン―映画的欲望の経済』を想起させるが、ヒッチコック映画が読者にとって古典であるのに対し、本書の題材はリアルタイムの作品も多いので、読み進めるに従って、「ポストフェミニズムにおける男性性」に共感している自分の鑑賞感情自体を分析されることになる。おそらくそれが本書の狙いなのだろう。「母の息子」「助力者」「イクメン」「コミュ力」など、身近な用語を織り交ぜながら「現在ジェンダーやフェミニズムの問題とされていることにほとんどは、実は<男性問題>であり、…」「ですが、そのような男性主体はひとつのもの(均質的なもの)ではありえません。」と彼は語りはじる。フェミニズムと自分の人生や暮らしやエンタメがどう関係があるか、考えたこともない人も考えはじめるきっかけを掴むことができる娯楽作。著者の前作は『戦う姫、働く少女』。

謝辞

この章を作成するにあたっては、多くの女性・男性の協力を得た。

ヒアリングに快く応じてくださり、また多くの資料をご提供いただいたUIFA JAPONの森田美紀会長、小池和子様、松川淳子相談役、宮本伸子理事、稲垣弘子幹事、中島明子和洋女子大学名誉教授からは、日本の草創期の女性建築家や働き方調査について貴重な情報や冊子を送っていただいた。彼らの導入がなければ、終章を書き始めることはできなかった。

また年表(ヒッチハイクガイド)の建築系項目の多くの記載は、提供いただいた冊子、UIFA JAPON『未来へ 女性建築家のパイオニアたちの肖像』2013、女性と仕事の未来館報告書『女性と建築展』2002を参照している。

AIJ男女共同参画推進委員会からは、過去の学会の取り組みや、研究者の情報を得ることができた。同委員会監事の大阪市立大学の小伊藤亜希子教授には、遠隔で、2000年代後半以後の女性技術者の働き方調査の経緯を教えていただいた。

建築討論委員会の種田元晴氏からはUIFAや小川信子氏インタビューの情報をいただき、上記につながっている。

建築史家で東北大学の五十嵐太郎教授の著作・WEB記事からは、多くの欠けていた視点を補うことができた。

キュレーター根来美和氏のweb連載も、開始されたばかりであるが、1970年代以後のフェミニズムの展開と建築を結びつけて考える上で、示唆に富むものだ。五十嵐への言及があり、上記に結びつけることができた。

建築家で千葉工業大学の今村創平教授には、ヒアリングでさまざまな相談にのっていただいたほか、参考資料を教えていただいた。

インタビュアーの建築家、成定由香沙氏には、ポストフェミニズムについて多くを教えていただいた。彼女の同時代感あふれる導入と解説なくして、高橋幸らの言説に触れること、「なんとなく、フェミニズムを考えることに対して気が重い」ことを言語化することはできなかっただろう。

建築家の鮫島卓臣氏の本誌連載も、今回の内容に大きな影響を与えている。氏はアメリカ留学中に連載を開始し、自分に見えている風景を一段引いた視点から伝えてくれた。

最後に、インタビューに応じていただいた三人の女性建築家 長谷川逸子氏、乾久美子氏と貝島桃代氏、インタビュアーとして熱心に準備してくれた今泉絵里花氏と成定由香沙氏にも改めて御礼を申し上げたい。ポストフェミニズム的状況下で話すことが難しいなか、真摯な対話から多くの共通の話題を見つけられたことに勇気づけられた。■

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Shoko Fukuya
建築討論

Architect: AL architects office-al.jp, Professor: Tohoku Institute of Technology