未来の金融 Ⅰ

〜元ヘッジファンド・ポートフォリオマネージャー、ゴールドマンサックス為替トレーダーがみるWeb3.0の世界〜

Kenji Mitsusada
Secured Finance
Published in
Jan 31, 2022

--

Photo by Bermix Studio on Unsplash

私は東京工業大学で経営工学の修士号を取得した後、2004年にゴールドマン・サックス証券会社東京支店に為替のトレーダーとして入社した。為替フォワードのマーケットメイカーとして14年を過ごした後、世界でも指折りの債券ヘッジファンド、キャプラ・インベストメント・アンド・マネージメント香港支社に転職。3年間、ポートフォリオ・マネージャーとして過ごした後、2022年1月にSecured Financeという、暗号資産のフォワード市場を作っている創業1年の情報技術系ベンチャー企業に参画した。

この『未来の金融』シリーズでは、なぜこのような意思決定に至ったかを以下のように順を追って皆様にシェアしたいと思う。

第一章 金融機関の近代史 -100年に1度の危機がもたらした変化
第二章 情報の不均一性に潜む金融の光と影-中央集権型金融の功罪
第三章 非中央集権型の金融 -Web3.0が実現する未来の金融 (1)
第四章 非中央集権型の金融 -Web3.0が実現する未来の金融 (2)

第一章 金融機関の近代史

ウルフ・オブ・ウォールストリートという映画をご存知であろうか。1980年代後半から90年代にかけての話である。映画ゆえに誇張されている部分もあるのかもしれないが、当時の破天荒さや羽振りの良さが垣間見れて面白い。実際、ウォールストリートで成功すれば巨万の富が得られるため、エリートがこぞって金融に参入していった。数学者や物理学者などの優秀な頭脳が、次々と新しい商品を産み出してゆき、金と人が集まる好循環を形成していった。飽くなき欲望は資本主義の元で市場を膨張させバブルを形成する。やがてバブルは崩壊を迎え、不況をもたらし規制や政府の介入の元で徐々に立ち直るということを繰り返してきた。

Photo by lo lo on Unsplash

さて、私がゴールドマン・サックス証券に入社したのは2004年のことである。2000年に米国発のITバブルが崩壊したため、いわゆる氷河期に就職活動をしていたこともあり、ゴールドマンの東京支店にマーケット部門で採用されたのはわずか4人であった。新人の採用こそ少なかったものの、羽振りはまだよかった。会社は六本木ヒルズの最上階にオフィスを構え、外資系の雄としてその名を轟かせていたし、働いている諸先輩、同輩の面々は皆優秀で、よく働き、よく稼ぎ、よく遊び、よく使うのが当たり前であった。外人が行き交う西麻布・六本木界隈でも、肩で風を切って歩く当時の外資系金融マンは一際目立つ存在であった。
そんな中、私は為替のフォワードのトレーダーとして採用されたのだが、プロダクトや他の部署との違いなどは、また別の機会に紹介したいと思う。

バブルの予兆

当時の米国はITバブル崩壊を経験し、2003年半ばまで利下げを行っていた。国際金融市場の緩和姿勢、米国の低金利を背景に住宅ブームが到来。2004年以降サブプライムという信用格付けの低い者に対するローン残高が膨らんでいった。代表的な仕組みは、当初2年間は低い金利で固定されているものが、3年目以降急激に上昇するという物であった。当時の住宅価格は右肩上がりだったので、担保価値が上昇することにより借り換えも容易に行えていたのであった。

ここで重要な役割を果たしたのが金融機関、特にシャドーバンキングと呼ばれる証券会社やレバレッジを効かせた取引を行なっていたヘッジファンドである。上記の低格付のローンを束ねることによって、デフォルトリスクを平準化・分散化させ、販売したのである。証券化商品、若しくはデリバティブと言われる代物である。
これが飛ぶように売れた。おりしも緩和的な金融環境が続いていたことにより、低金利に喘いでいた世界中の機関投資家や金融機関は、運用益を確保するためにこぞってポートフォリオに加えていった。こうしてバブルは醸成されて行った。

崩壊

2006年後半以降、サブプライムローンの延滞率は急速に高まったのだが、当初は米国の住宅価格が上昇を続けていたこともあり借り換えができていたので、問題が顕在化することはなかった。しかし07年に住宅価格の上昇が止まると、状況は加速度的に悪化していった。

Case-Siller U.S. Home Price Index

大きく膨らんだシャボン玉は弾けるのを待つだけであった。
格付け機関からの格下げなども追い討ちをかける形になり、元々流動性の低い証券化商品に対して、売りが売りを呼ぶ展開となった。証券化されたサブプライムローンは、世界中の投資家に販売されており、影響はアメリカ国内に留まらず多岐に渡った。これがグローバルファイナンシャルクライシスと呼ばれる所以であろう。

そして皆さんご存知の通り、当時のシャドーバンキングの代表格である証券会社、メリルリンチとベアスターンズは吸収合併され、リーマンブラザーズは破綻。ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーも政府の資本注入を受けるために銀行の形態となり、規制当局の厳しい監督下に入った。
私が働いていた現場、ゴールドマン・サックスでは1−2年かけて人員整理が行われたと記憶している。朝いつものように話していた仲の良い先輩のデスクが、昼以降ずっとスクリーンセイバーになっていたのは、駆けだしのトレーダーだった自分にとっては衝撃的だった。

Photo by Maxim Hopman on Unsplash

悪者は誰だ

100年に一度の大不況をもたらしたのは誰だ。槍玉に上がったのは無論金融業界であった。折りしもインターネットとソーシャルメディアの普及に伴い、憎悪の波は瞬く間に広がっていった。世論に後押しされる形で、金融機関には厳しい規制が導入されていくことになる。こうして花形であった金融マンは「Cool」でない職業に変わっていった。

--

--

Kenji Mitsusada
Secured Finance

Head of Markets @ Secured Finance. 18 years of interest rate derivatives trading experience. Former Co-Head of G10 FX Forwards and STIR Trader at Goldman Sachs