松の内あたりまでは実家で過ごした。年末から正月にかけてのテレビが、個人的には一番好きだ。お笑い、ネタ番組をこぞってやってくるれるから。おもしろ荘がピカイチだった。パンケーキに食われ気味だったけど、ぺこぱとまんぷくユナイテッド推したい。
「きれいにまとめようとすること」からの脱却、プライベートではそれが目下の課題だ。
ある着想を得た時、それをいかにもコラム的な構成で捉え、いい感じのオチまで脊髄反射のように考えてしまう。実際に、起承転結でパッとアウトラインが引けてしまう。それは、これまで培ってきた技術や経験から生まれる思考であり、誇れることであるのは確かだと思う。
一方でそれは、どうしようもなく手癖だ。「y=2x+1」のような、制御の効いたプログラミングに近い。違う、いま個人的に欲しいのは、すでに持っている計算式ではなくて、もっと解けな…
一週間前ほどに、年下の男の子に「若いのにしっかりしてるね」と言った自分にいつまでも凹んでいる今日この頃です。
空の青が少しずつ淡さを帯びはじめ、温かい飲み物が一層恋しくなる時節になってきた。
仕事を始める時、一旦気持ちを切り替える時、何かしら静謐な時間を求める時、一杯の珈琲を淹れるのが習慣だ。
思い立ったら、コンロに火を点け、コーヒーケトルを置く。このケトルは、2年前の母の誕生日に買ったものと同じだ。前々から自分が欲しかったものを2つ買って、片方贈った。注ぎ口のカーブが艶やかで、お湯の軌道が美しいのが気に入っている。
夕方が好きだ。晴れの日、おやつ時を過ぎて陽射しが弱まってくると、用もないのに外に出たくなる。仕事用のデスクから離れて背伸びをし、部屋の中をぐるりと見渡して、あ、そろそろ箱ティッシュのストックが切れそうだとか、今日は別マの発売日だなとか、適当な言い訳を見つけて履き慣れたデッキシューズを突っかける。
家を出た時には、太陽が「ワテが王やで」とでも言わんばかりの存在感を放っていても、コンビニだのスーパーだのに入り、ちょちょっと漫ろに物色して店を出ると、外の世界の明度と色合いがビックリするほど変わる。加えて、春秋はさらに気温の振れ幅も大きいから、体もじゅんとする。ついさっきまでオロ…
少し、長い休みを取っていた。忙しくしていると考えられないことを、じっくりと考え直すいい機会になった。というより、考え直す必然があった。
書く仕事を続けてきて、それなりに回るようになってきていた。そして突然、はたと書けなくなった。自分の中の「文章の良し悪し」を判断する小人が、置き手紙もなしに行方をくらまして、書くことが怖くなった。
今日からまた、書き始める。仕事は仕事として、それ以外に、商品としての言葉ではなく、自分の言葉をサルベージするために、できるだけ毎日なにかを書く。あまり考えすぎないように、感じたままに。仕事…
私事を淡々と書いているのに、それがただのつまらない自分語りにならず、わたパチのように愉快なエンタメだったり、滋味深い薬膳鍋のようだったり、世界の深淵に通ずる扉の鍵になったりする文章がある。自分語りの「巧―拙」の間にある距離は、奈落の崖に隔たれているように思える時もあれば、気持ちよく降ったにわか雨の後の水たまりほどに思える時もあり、これを正確に表現しようとすると「時空が歪んでいる」と言いたくなってしまう。まだ崖の方が掴みどころがあるからマシだ。
友人とランチをして、久々に長話をした。自転車で遠出をしたこと、高校時代の思い出、当時LINEあったら生きていけなかったよねとか、そんなとりとめもない話だ。
彼は「最近、行きたい旅館をひたすらピンしている」「47都道府県の食べログベスト50を調べて行きたい店をリストアップした」と話してくれた。暇だねえ、ええ暇なんです、ふふふと一緒に笑った。
そんなことしたら、うかうか死んでなんかられないよね。家に引きこもりっぱなしでなんて、いられないよね。尊いよね、と思った。
先月の誕生日、友人から手紙をもらったので、その返事を書いた。久しぶりに手紙と対峙したら、びっくりした。普段、仕事で四六時中、文字を書いているのに、それとはまったく違うことをやっているように思えた。
便箋を滲ませるインク、そこに込めた思いの丈は、ペン先を離れた瞬間、自分から切り離されていくようで、それはフィルムカメラのシャッターを恐るおそる切る刹那の感覚と似ていた。一度書いたら、直せない。消しゴムで消すことはできても、書く前と同じ状態には戻らない。緊張感が、脳の普段使っていない部分を、焚き付ける。
卵かけごはんが好きだ。ひとつの命を丸ごと頂いている感じがして、元気が出る。黄身の醤油漬けよりも、アレンジTKGよりも、ストレートな生卵をかけるのが好きだ。
これは主義が分かれると思うが、溶いた卵は、ごはんにかけた後、あまりぐちゃぐちゃと混ぜない派だ。卵にコーティングされた部分と、つやつやとした白飯の部分が、どちらもある状態でなくちゃ、いけない。そう言えば、カレーも混ぜない派だった。
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