回答|和田寛司

202007 特集:自炊のように作る、賄いのように作る、 ビルドにコミットする建築家たちへの基礎調査

Q.1|自分で作った作品画像をご紹介ください

「DIG IN THE DOMA」
古い町屋の改装プロジェクト。数世代先までの生活に対応できる構成を考えてみました。既存厨子二階を個室として残し、下屋には大空間の器があって、生活様式や気分に合わせて分節したり、暮らしの変化を受け止めてくれるスケルトンを埋め込みます。そこは庭との連続性を持った所で、縁側や通庭のように大らかに振る舞ったり、書斎のように自分の居場所を作ってくれたりする。そんな自由な空間を目指して半地下ワンルームの町家を検討しました。しかし、設計を進めていると、効率の良い納まりで統一するのが困難だという事が分かってきます。それならば、ディティールを工事の中で発見し、設計の更新をしながら作る。そんな計画を考えました。

Q.2|上記の際に描いた図面(画像)をご提供ください。
普段の図面と違うところ、例えば増えた要素、減った要素は何でしょうか?

「余白のある図面」
改修工事に際して解体してみないと分からない部分が沢山あり、過去に幾度かの改装が入ったり、納まりにはばらつきがありました。故に、全てに統一した納まりを適用して管理する事が難しかったのです。そこで、いっその事、不確定な部分は現場で即興的に設計し施工のできる計画を考案する事にしました。まず最初に、構造とプラン構成を検討した図面を作り、改めて現調へ向かい、納まりの方針を文字レベルである程度絞り込みます。施工者と相談を進めながら、図面上の空白内に文字情報を書き込んでいきました。これを元に施工者と設計者が共に工事を進め、現場で施工しながら設計の更新を行う。場合によっては仕上げから飛躍し、プランの更新も許す。そのような「余白のある図面」を引いてみました。

Q.3|作るための道具・設備の画像をご提供ください。
その道具によって生まれる制限や表出するものは?
また素材との関係性もあればお答えください。

特になし

Q.4|自分で作る上で、流通、材料、既存建築物、立地、施工者、施主など制作を取り巻く要素との関係性、 あるいはその変容はどのようなものでしょうか?

クライアントと共に施工に関わるプロジェクトでは、建築の中にいかに楽しさを見出すかという話題によくなりました。竣工後の成果物よりも施工プロセスの実体験に何か新しい価値観を見出そうとする感覚が伺えました。そういったプロジェクトを通して感じた事は、セルフビルドを望む多くのクライアントは施工過程に”お祭り”のような一瞬の煌めきを求めているのかなという事です。せっかくならみんなで楽しい事をやりたい。主体は「成果物」のデザイン性ではなく、むしろ「プロセス」のデザイン性であって、どれだけ特異で印象的な時間をデザインできるかが求められている節すら感じました。「成果物」と「プロセス」のどちらが欠けてもいけないし、そうなってしまうと建築家が関わる意義が薄まってしまう。両者を上手くデザインし、互いに高め合うような関係性を構築する事が望ましいと考えていました。

セルフビルドにおける施工では人海戦術をとることが多いかと思いますが、参加者が多いほど盛り上がります。上手くいっている現場は、参加者の数だけストーリーがあって休憩の時に自然と感想を言い合ったり、「もっとこうしてみてはどうか。」など生き生きと設計変更の提案が飛び交う事もあります。普段なら設計者らだけで建築を設計し、その深いところの意図は本人達のみが知る事が多かった。しかし、大勢でやるお祭りでは想像以上にデザインの意図を読み取ってくれたり、時には設計自体が発展、更新される事もあり得ます。労働を通して積極的に建築に関わる事で施工者も設計者のようにデザインの意図について考える事になります。そこには沢山のフィードバックがあって、プロセスが成果物のデザインに寄与し、成果物はプロセスを形として物理的に記憶します。このように両者の関係を最後までデザインし続ける態度は自主施工を行うセルフビルド特有のものであり、設計論としてとても価値のあるものだと思います。

Q.5|そこで得たフィードバックやループはどのようなものですか?これまでの建築や設計を変えるような可 能性をお答えください。

施工者は労働の中でのそれぞれのストーリーを見出そうとするのですが、上手くいかない時もあります。そんな時は大抵、納期が迫っていて、指示を出す人が苦しい思いをしている時です。過酷な効率を強いられ、労働はとても辛いものになり、それでは良きフィードバックは生まれません。セルフビルド=コストダウンという風潮がありますが、これは本当に良くない事で、コスト中心に行う労働はとても辛いものになります。労働とコストは区別してみる。そうする事で、労働は楽しくなり”お祭り”は成功するはずです。極力そこが結びついてしまわないように立ち回るよう心掛けています。

工期と予算に余裕を持たせる事の他に、特に注力しているのは休憩時間の過ごし方です。朝礼・午前休憩・ランチ・午後休憩・終礼。5回の休憩があり、そこで如何にリラックスでき、楽しく話し合えるか。また、施工者にとって最後に控えている打ち上げは大きな目的でもあります。この時にこれまでの様々な印象的だった体験など多くの貴重なお話を伺えます。つまり、他者の経験を設計に取り込み反映させ得る重要な知識やデータが収集できるのです。その収集率は当然これまで過ごした時間に依存するので、施工工程や休憩を楽しい時間にする事は本当に大切な事なのです。

それを突き進めていると、デザインの為の労働が、労働の為のデザインに入れ替わる事が稀にあります。これは楽をしてお金をもらいたいというネガティブな意味ではなくて、労働が楽しすぎるので、もっとやりたい!という想いからデザインを決定するときで、この事を「楽しいマテリアル」と呼んでいます(笑)コンクリートをもっと練っていたい!単管をもっと組み続けたい!そういう想いを大切にくみ取って、設計変更やテーマの更新をする事もあります。

そうなって来ると、今まで追いかけていた本質が揺らぐような感覚になります。美しい空間を求め、事務所でひたすらスタディーを繰り返し時間をかけて頭の中で組み上げたものが、現場の労働1日でひっくり返る事があるのです。ある意味快楽主義的で、ちょっと待った!とセーブをかけたい気持ちが働くのですが、DIG IN THE DOMA では現場に入ってからは身体的な感覚を大切にしていて「楽しいマテリアル」の採用をむしろ推進していました。但し、現場入り前のスタディーを元に全体のバランスは整えるよう気を配っており、計画時の頭と現場での身体、2つの感覚を上手く使い分けて振る舞おうと頑張っていたように思います。つまり、計画段階の設計で論理的に、倫理的に、美学的に、沢山の検討を繰り返しているので、その段階でガイドラインが出来上がっていると想定する訳です。これが「余白のある図面」で、空白の部分については現場で施工者と共につくる身体的感覚を信じて託す。自分で言ってはいけないと思うのですが、そういうアツい図面をやってみたかったのです(笑)

Q.6|自分で作るにあたって不確実性をどのように捉えますか?例えば問題が発生した際の解決策で特徴的なことは何ですか

余白内がどうなるのか。着工前は決まっておらず、不確実性を孕んだリスキーなもので本来ならば避ける流れにありますが、今回は意図的にそういった要素を残しています。デザインをある程度共有してみる。それが施工プロセスを一層印象的なものに変え、その中で考えられ、更新されたデザインは多様で豊かな空間をつくる事ができるはずです。

しかし、これを上手く現場で機能させる為には、特殊な組織形態が必要不可欠でした。設計者自身が施工に参加し、密に意図を共有しながら、多様性を認め、施工者が自由に提案を行えるような、ヒエラルキーを極力持たない組織が必要だと考えました。そこで、分離発注形式で協力してもらえる専門業者や現場経験があるアーティストなどの非専門家でチームを編成しました。共に現場で昼食をとり、ディティールの話や施工方法の相談をみんなで話し合って意図を共有し、毎日来れないクライアントに微妙な設計のニュアンスを伝えるために地鎮祭や上棟式では、彼らも参加して頂き神楽を即興的に演じたりしました。このように、図面や文章だけではなく会話と身体体験によって建築の意図を伝えるように心がけました。ヒエラルキーを極力つくらずに施工者やクライアントに極力近づいて現場での身体性と会話によるフラットな関係から、みんなで設計の更新を行い「余白のある図面」を補完していきたかったのです。多様性を持った豊かなデザインは複数の人やものが対話をし、不確実性の中からこそ生まれるのではないか。そこにはヒエラルキーを持たない自由な関係が必要だと思うのです。

このような特殊な組織形態だからこそ計画を完走する事が出来たのだと感じています。まるで、むかしの人がやっていたように大工さんが音頭をとって村総出でみんなの家をゆっくり作る。そんなふうに建築家が振る舞ってみる。その中で新しい空間体験の創造を目指しながら、昨今忘れつつある労働の楽しさを見出し、デザインの手がかりを探る。その為の組織編成と計画のコントロールを建築家が行う事で、住宅建築におけるセミセルフビルドという可能性があるのではないかと思っています。そこではできる限り施主も参加する事が望ましいし、正しい姿だと信じている訳なのですが、現代においてこれはとても難しい。しかし、できるならば週の半分くらいは、仕事を休んで現場を楽しんでもらいたいと思っています。時には同僚を雇ってみたり、信頼できる仲間と共に1年くらいかけて自邸をつくる。そこで出来た仲間の家を次々と建てていってもいいだろうし、培ったノウハウを生かし友人の店を設計施工してみてもいい。セミセルフビルドは、そういった様々な新たな展開が期待できそうです。

しかし、建築を自力でつくる事に携るならば、時間を生む為に今までのライフサイクルを見直す必要があって、社会と生活との間合いを見直す事でもある。セミセルフビルドのために退職したり、勤務時間を減らす事は、それこそ不確定性を持つ選択ではありますが、多様性は不確定性の中にあります。こういう場合でも「余白のある図面」は機能してくれるはずなので、確保したい生活をガイドラインとしてフレーミングし、残った余白は現場の自分と仲間達に託す。そんな自由な社会との距離感を設定してみるような、ライフプランが選択肢としてあってもいいのではないかと思うんです。と言っても結構勇気のいる選択だと思いますので(笑)まずは自分でそういう生活に挑戦してみようと最近よく考えています。

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和田寛司/ランチ!アーキテクツ
建築討論

わだ・かんじ/1986年京都生まれ。建築家。2008年KASD卒業。2010–2013年一級建築士事務所アルファヴィル。2013年ランチ!アーキテクツ設立。セルフビルドや廃墟でのイベントなど建築との様々な関わり方を模索する。趣味は怪談蒐集。