回答|家成俊勝

202007 特集:自炊のように作る、賄いのように作る、 ビルドにコミットする建築家たちへの基礎調査

Q.1|自分で作った作品画像をご紹介ください

Umakicampは香川県小豆島の馬木地区に立っているスペースです。構造家の満田衛資さんと共に自分たちで作れる現代版の掘立構法を考え、瀬戸内国際芸術祭2013の際に地域の方々と協力しながら自分たちで建設しました。合わせてスペースの中で行われる活動も地域の方々と一緒に実践していきました。

写真:増田好郎

三角庵はアトリエ・ワンにお誘いいただき、宮城県石巻市桃浦にある「もものうらビレッジ」の中に建設しました。構造家の片岡慎策さんと共に自分たちで作れるAフレーム構法を考え、そこに生えていた木を伐採して材料に変え、ワークショップで参加した方々や地元の工務店さんと一緒に建設しました。

写真:アトリエ・ワン

Q.2|上記の際に描いた図面(画像)をご提供ください。
普段の図面と違うところ、例えば増えた要素、減った要素は何でしょうか?

一般的な設計図は、共通の言葉のようなもので、文法通りに、どの施工者でも読めるように描きます。一方で自分たちで手を動かす現場はとてもローカルなので、簡素化された設計図と、その場を物理的に共有する人が読める訛った言葉やスラングのようなもので大丈夫です。あとは図にならないグルーブみたいなものがありますので、書いたものとできたものが同じでない場合がありますし、スケッチや図面は材料の端切れに描くことが多く、ゴミとして燃やされるので残ってないこともたくさんあります。

Q.3|作るための道具・設備の画像をご提供ください。
その道具によって生まれる制限や表出するものは?
また素材との関係性もあればお答えください。

道具は基本的には安価なハンドツールです。イヴァン・イリイチが言うところの、使い手によって選ばれた目的のために、必要ならひんぱんにでも、まれにでも誰によっても容易に使われる道具です。そういった道具は基本的に木材を加工するものが多いので、扱う素材は木が多いです。木は、柔らかく加工が容易で、接続も簡単ですので便利です。良くも悪くも細工は省かれるのでディテールが簡素になっていきます。

道具部屋
作業場

Q.4|自分で作る上で、流通、材料、既存建築物、立地、施工者、施主など制作を取り巻く要素との関係性、 あるいはその変容はどのようなものでしょうか?

自分たちでつくる過程で気になったのは、資源に直接アクセスしていけないことです。例えば私たちが原木市場に行って木を買うことはシステム上できません。市場に出入りできる業者は決まっていて、その後も製材所や問屋など、いくかの流通経路を経た後にようやく私たちの手元に届きます。私たちは材料屋さん、インターネットによる通信販売、ホームセンターなどの小売業者を通じて材料を購入することになります。商品として売られているものを買って、それを加工して組み上げるので、商品から商品を生み出している状態です。商品の連鎖の中に位置づいている(しかも末端で)という意味では工場における大量生産のシステムと土俵を異にしておらず、自分たちでつくることが持つ可能性はまだまだ閉じ込められたままだとも言えます。

私たちが自分たちでつくる現場の多くは、改修や一時的な仮設物になります。改修の場合は、既存建築の使えるところは使いたいので、手数をできるだけ減らす方向で考えます。一時的な仮設物の場合は、どうせ無くなるので、それが建つ場所の新しい創造的な使われ方を実験する機会にしています。構造やディテールを試す場所にもなります。途中で別の方向が良いと思えば、即変更したり、随時手を入れて改変していくこともあります。

つくる人に関しては、ドットアーキテクツのメンバーだけでつくることもありますし、色々な物をつくっている面白い仲間たちと一緒につくることも多くあります。また私たちが現場に乗り込む案件に関しては、施主さんが工事に関わることがとても多いです。

ここでは発注と受注という枠組みを越えて、一緒に試行錯誤しながらつくりますので、その熱量が出来上がりに現れてきますし、もし不具合が起きてメンテナンスが必要な場合でも施主さん自身で対応できるメリットもあります。使う人とつくる人を分けない、渡す人と受け取る人を分けないということがミソです。そこに関わる全員がその場所がどうできているかを物として理解することで、空間にアプローチできる幅が広がるように思います。

資材置き場

Q.5|そこで得たフィードバックやループはどのようなものですか?これまでの建築や設計を変えるような可能性をお答えください。

ビルドにコミットすることの可能性は2つあると思います。それは現れてくる空間のお話ではありません。材料と働き方のお話です。

材料を遡ると資源に行き着きます。先ほど言いましたように私たちは材料となる資源に直接アクセスすることがなかなかできません。資源は分業化された様々な経路を辿ってようやく私たちの手元に商品を購入するかたちで届きます。資源とは何かと言いますと地球そのものです。高祖岩三郎さんは「地球とは、われわれにとって「「共通なるもの(the common)」」の究極的な形態である。われわれを育む滋養、個々の生死を超えた物質的運動、起こりえることの潜在的可能性―地球とはこれらの総体である。だが今日、世界資本主義の飽くなき商品化とそれに起因する環境危機によって、それは己の物質的な限界を露呈させ始めた。これは人類史における決定的な転換点を印している。」(「VOL lexicon」VOL collective 以文社 2009)と述べています。

資本制のシステムは、私たちの暮らしを豊かにすることを目的にしているのではなく、ひたすら増やすことを目的にした運動ですので、資源は使い尽くされていきます。いくら環境危機のことをニュースで知っても、買い続けている私たちが本当の意味でリアリティを持つのは難しいです。普段の生活の中で、木を伐採している現場、鉄鉱石や石油を掘り起こしている現場に日常的に関わっている人はレアです。末端で材料として資源を買っているだけでは想像力は働きません。

ですから、ビルドにコミットする可能性の一つは、つくる前提に関わることです。「自炊」や「賄い」はそのための最初の一歩です。私たちの暮らしをもう一度地球(大地)と直接繋ぎ合わせることを目標に、材料を生み出す場所にまずは関わっていくことを考えたいです。

次に働き方です。一般的には、現場労働というのは日当で‘’計算‘’されます。これは私たちの労働力を売っているということです。建築家がつくることに参加するにしても施主さんから受注した仕事の場合は労働時間、スキルの熟練度によって賃金が変わります。働くことで得た貨幣で商品(生活必需品、住宅、電気や上下水道、嗜好品など)を買って生活を成り立たせています。労働の本来のあり方は、貨幣に替えていくことではなく、つくった物を、その場で直接使用することにあります。場所と労働が切り離され、労働力として商品化されているままではビルドにコミットする力能の大半を実現できていないことになります。私たちの働きが貨幣の価値には置き換え難い暮らしに直結した物だと捉えると、つくる物も変わってきます。

バタイユは「呪われた部分―全般経済学試論―」(筑摩書房 2018)でポトラッチなどの蕩尽について書いています。蕩尽は支配的な経済システムから溢れ落ちている部分ですが、こういった行為も共同体を成り立たせている要素でした。つくることが賃金に換算されず、情熱を傾けて、その共同体のためにあるということは一つの可能性だと思います。現在は仕事の大半がサービス業になっており感性やコミュニケーション能力が必要とされるか、専門性に囲いこまれた中で高い技術力や能力を持っているかが問われており、刻々と変化する状況を上手く乗りこなさねばいけません。自分たちでつくるものはローテックなものになりがちではあるが、多くの人の関わり代をシンプルな作業によってつくり出すことができますし、その場の思いつきやノリといった非計画的な反応も反映させていくことができ、軽くてしなやかです。現在の商品経済に首までどっぷり使っている状態を、ひとまず乳首程度にし、違ったシステムが併走する仕組みづくりのために、資源と働き方を捉え直すために、ビルドにコミットする目的があると思います。

Q.6|自分で作るにあたって不確実性をどのように捉えますか?例えば問題が発生した際の解決策で特徴的なことは何ですか

自分たちでつくることに思いつきやノリが反映されるので不確実な要素が目立つと思います。しかし5の質問に対する答えの中でも言いましたように私たちの暮らしの前提となっている仕組みそのものがとても不確実なものになっています。現場は直接的に体感できる不確実、現行の仕組みは間接的で体感できない不確実です。体感できない不確実は寄る辺がなく、生きていくことに対する不安を掻き立てます。

一方でつくる行為を通して、資源にアクセスし、実際につくることを通して、その流れを体感することは、そこには何かしら確実性を育むのではと思います。ですから現場で起こる不確実なものは、本来的には不確実なものではなく、むしろそういった意味での不確実性は人との対話や材料との対話、それらの組み合わせによる合流点を探っていく行為ですので、あってしかるべきものです。

合流点を、時間をかけ身体を通して理解していく行為によって、直接的な不確実さを自らつくることに可能性を見出したいと思います。まだまだ私たちごときでは到達できませんが、そのうちに。

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家成俊勝/dot architects
建築討論

1974年兵庫県生まれ。2004年、赤代武志とdot architectsを共同設立。京都芸術大学教授。アート、メディア、建築、地域研究、NPOなどが集まるコーポ北加賀屋を拠点に活動。代表作にUmaki Camp(2013)千鳥文化(2017)など。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展にて審査員特別表彰を受賞。