回答|岡啓輔

岡啓輔
建築討論
Published in
Jul 2, 2020

202007 特集:自炊のように作る、賄いのように作る、 ビルドにコミットする建築家たちへの基礎調査

Q.1|自分で作った作品画像をご紹介ください。

2000年秋、東京三田に小さな土地を取得。2005年の暮れからコツコツと手作りしている鉄筋コンクリートの小さな建築です。名前があり「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」。若いころ建築現場で様々な職人仕事をやっていたので、自分で設計し、自分で作るという方法を選択しました。設計で[全てを決め切って]から作りはじめるのではなく、作りながら感じたこと考えたことなどを大切にしながら建築を進めています。うれしい事に当初想定していたよりもずっとずっと多くの学びや発見があり、それらが繋がり、形が出来ていく様は、自らの思考を超え、植物の成長を見るかのような、面白さがあります。

Q.2|上記の際に描いた図面(画像)をご提供ください。
普段の図面と違うところ、例えば増えた要素、減った要素は何でしょうか?

友達を呼び徹夜でゲームをしました。1/50の「敷地」を描き、「ボンヤリとした平面計画」と「(70センチの高さでコンクリート打設)などの施工計画」を説明。あとは囲碁でも打つかのように一手一手交互に外壁をデザインしカットしホットボンドでつけていく。「ホホ〜、そこにそうきましたか」「え!その手、意地悪くないですか!」などと言いながらとても楽しかった。そのゲームで出来た模型を図面化し「完成予報図」としました。オートポイエーシス的、非線形的な作り方をしたかった。

Q.3|作るための道具・設備の画像をご提供ください。 その道具によって生まれる制限や表出するものは?また素材との関係性もあればお答えください

普通の現場にあるような丸ノコ、インパクトなどの道具で作ってます。ちょっと大きくて特別なモノは高強度のコンクリートを練るミキサーくらいかな。道具は道具としてのみ機能してくれればそれで十分。「手」の延長くらいに馴染んだ少な目の道具だけでやるのが理想。ラジオは必需品、無音だと思考が煮詰まる。金曜の午後なんかはわけわからんテンションになったりします、オペラなんですよ。ラジオに操られてる感じでそれも愉しいけど。

Q.4|自分で作る上で、流通、材料、既存建築物、立地、施工者、施主など制作を取り巻く要素との関係性、 あるいはその変容はどのようなものでしょうか?

[制作を取り巻く要素]に出来るだけ素直に巻き込まれながら、影響を受けまくりながら作っていくことは、はじめから決めていました。それをこのセルフビルドが閉じた表現にならない為のとても重要な他者だと考えたからです。

僕がやりたい事は、山に籠もって自給自足し[美しい世界]を作るような事じゃ無く、混沌とした都市で出来るだけ多くの人や事象とガチャガチャと交わりながら作り上げていくこと。蟻鱒鳶ルを多くの人たちとの関係性や、時代のリアルな何かが映り込んだ生き生きとした建築にする事。
ほとんどの業者が相手にしてくれなかった事で、資材の多くをホームセンターで調達する事になったけど、とても良かった。(農業資材コーナーをプラプラしていて、型枠に使うビニールシートを発見するとか、、、どこにでも売ってる材料で作る事で敷居がグッと低くなったとか、、)

日々目に入る丹下健三のクゥエート大使館と、大江宏のフレンド学園は、いつも考えるキッカケを与えてくれる。はじめの頃は丹下さんの強い論と強い形に惹かれていたけど、だんだんと大江さんの飄々とした感じに惹かれてきている。

ズッと嫌悪感しかなかった秀和マンション、なのにいつの間にかその特徴的な装飾に大きな影響を受けていたw(装飾って、そんなに気合い入れなくっても手癖くらいが産み出すモノでもちょっと良いなあ、、)秀和の隣じゃ無かったら蟻鱒鳶ルの装飾はまるで違うモノになっただろう。

近くの雑木の曲がりに蟻鱒鳶ルの壁面を合わせて曲げてみるとか、人からもらったゴミのようなモノを型枠にしてみるとか、いまいち意味が見出せ無いような事でもとりあえずやってみる。

こんな事を半ば気楽に[コンセプト的]にやりはじめていた訳だけど、いつの間にか「三田の再開発」が動き出した。それは、津波のように覆い被さってきて僕をグシャグシャに巻き込んだ。浮かれた態度は何処へやら、歩くリズムを忘れ、円くハゲ、胃に穴あきかけた、ガタガタになった。弱っちいものだ。踏み絵のように思えた。今まで訓練してきた「即興」が、僕の本気が試されている。

Q.5|そこで得たフィードバックやループはどのようなものですか?
これまでの建築や設計を変えるような可能性をお答えください。

自信は無いけど考えをまとめ、勇気を振り絞って作り、様々な方法で沢山の人に見てもらい、意見を聞き、反応を見、そこで得た沢山のフィードバックから又ドンドン進めていく、という如何にも破綻しそうなギリギリな方法で作っているんだけど、とても良いです。

先日、ある人に質問されました「あなたはなぜモチベーションを保ち続けているのか?」と。「ずいぶん長いこと、いろんな事を試してきたけど、やってもやっても何もわからなかった、惨めなくらいわからなかった。でも、蟻鱒鳶ルを作り出して、やっとわかり出した。それがうれしくてたまらない」

[世界がわからない→(世界に自分なりの答えを示す)ことで世界に問う→世界、答えてくれる]こういう流れがやっと上手く機能しはじめたのだ。
大袈裟な言い方かも知れないけど、世界と対話するように作ってるんです。数年前、イギリスの建築家達に言われました「魂のある現代建築を初めて見た」うれし過ぎで泣きました。

「問う」事を作る過程に組み込んだ事、それがとても良かった。
最近は、多くの建築家が「如何にも世の中の為になりそうな」プレゼン用のわかりやすい事ばかり口にしてしまってる気がします。
勿体無いと思うんです、もっと建築を信じて良いと思うんです。
僕が通う高山建築学校の大きなコンクリートテーブルに「私的全体性」と誰かが刻んでいます、鈴木博之さんの言葉だと聞いてる。
【チョー個人的な興味でも、グーっと深くシツコク掘り進んで行けば、必ず世界に、全体に繋がる】僕はそう解釈してる。

Q6.|自分で作るにあたって不確実性をどのように捉えますか?
例えば問題が発生した際の解決策で特徴的なことは何ですか?

最初に描いた「設計図」、それと寸分違わず建築が出来上がる事、そんなに面白いか?
その楽しみは、ゲームか何かで実現するくらいが丁度良いのじゃないか?
モニターに描かれた絵がそのまんま現実の風景の中に突然立ち現われる様は、なんだかとても失礼な感じがするし、裸の王様のような滑稽ささえ感じる。

これだけ大きくて、多くの人が携わり、時間がかかる「建築」という行為にとって「不確実性」って至極当然のことだ。何が何でも自らが導き出した「設計図」に従わせようとするのは、あまりにも創造性が無く独善的過ぎる。

そんな不寛容な「設計絶対」な態度が、味の無い新建材をミスしない簡単な施工法で作る、になり、腕のある職人を現場から去らせ、建築をドンドン劣化させているのじゃないか?

施工者を、一緒に建築を作ってゆく仲間として受け入れ、彼らの施行中の閃きや思いを活かすような真っ当な方向にもっていけないだろうか?それとも、このまま分断してしまった格差社会の縮図みたいな建設現場で良いモノが出来ると考えているのだろうか?

建築を矮小化させるようなつまらない論調はいらない。建築をつくる悦びは、不確実で不安な未来に明るい希望の灯火を照らす為に勇気をもって進むこと、でしょ?

僕は、蟻鱒鳶ルをセルフビルドする事で、不確実な先の中にも悦びを見出しながら作り続けられる事をハッキリと知った。
セキネさん(岡の数学の先生)に教わりました「世界は非線形、それが真理。それだと日常で使い辛いので便宜上、線形を使ってるだけ」
もう線形的にやれるほど単純な時代じゃないそうです、コロナで未来はグラグラです。このあまりに不安定な時代、非線形的なものの見方、考え方、行動が重要になってくるはずです。

コロナのような世界をひっくり返す級も来るし、事情としか呼べないようなダサ目のショボイ理由も来ます、そういうモノ全てに、今、ココでの積極的で創造的な応答をやるんです。建築をインプロビゼーションし命を吹き込むのだ。カッコイイデザインなんて二の次。

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岡啓輔
建築討論

1965年九州柳川生まれ船小屋温泉育ち。1986年有明高専建築学科卒業。会社員、鳶職、鉄筋工、型枠大工、住宅メーカー大工等を経験。1988年〜高山建築学校に参加。1995年〜2003年「岡画郎」運営。 2005年 蟻鱒鳶ル着工、現在も建設中。2018年「バベる!自力でビルを建てる男」出版。(顔写真撮影:鈴木育郎)