2014年に「信濃大町 食とアートの廻廊 2014」の開催後、次回はちゃんと自分が納得できる芸術祭にしようと決心し、地域について、未来について書いた文章です。
瀬戸内2日目の朝、でかいバックパックを背負ってこえび隊の爽やかな朝礼を見学した後、瀬戸内芸術祭の始まりの地、直島へ向かった。その後に小豆島へ渡ったので3つの美術館しか行けなかったのだけど、正直なんとも言えない気分が残っている。直島の、あの違和感はなんだったんだろう。
アート:芸術は、自らの想像を表現する態度だと思う。それは美術館に額装してある作品の事ではなく、世界の全てに対して、孤独に挑むふるまい。それが何の役に立つのか?なにを想像し創造するのか?そもそも人間にはなぜ想像力があるのか?そういう問いを繰り返しながら、突破していく。自らの精神…
小豆島から高松にもどってきて、北アルプス芸術祭に参加予定の山本基さんの作品があると思って、電車を乗り継いで高見島へ向かうため、多度津港へ向かった。いい天気で、気持ちよくなりながら電車でパンフレットを見ると、西ノ島→秋会期のみ、と書いてある。しまった、まだ作品が公開されてないんだ、と気づいたけれど、何か山本さんと共有する事もあるかもしれない、と思ってめげずに高見島へ向かう事にした。
お墓ってなんだろうか?
宗教とかを忘れたら、とりえずその根本的な部分は、死者へ思いを寄せる場所なんだと思う。この世を生きた先人を感じるための場所なんだと思う。
【目】が巻き込む世界
現代美術チーム【目】の作品を見に、直島から小豆島へ向かう。小豆島の土床港でフェリーを降りて、急いでチェックインした民宿で自転車を借りて、迷路のまちへ。まちの思惑通り、時間がないのにぐるぐる迷って、ようやく到着。
2016年8月末、瀬戸内海に行ってきた。名古屋から深夜バスに乗って、早朝の高松。台風10号のきれっぱしみたいな雨雲が香川に引っかかって大雨だけど、昼からは晴れ予報。この強風に雲が飛ばされて、瀬戸内の青い空と海が待ってる想うと、うれしくなる。
豊島美術館。
言葉にならない。
内藤礼の作品を抱えて、なにがここに在るのだろう?
水滴を模した建物の白い外観にまず目を見張った。木立に囲まれ、…
小豆島で目覚めて、大岩オスカールさんの「大岩島2」を見に行く。自転車でたどり着くと、おじいちゃんが2人店番をしていて、最近結婚した近所の孫について話していた。
最近、アートへの認識が変化し続けてる。抽象的思考と具体的感覚が行き来しながら、少しづつ踏み分け道へ入り込んだ自覚がある。
6年前の僕は、アートをこういう風に言っていた。
‐芸術とは無意識である。
世界は無意識で構成されている。世界は自分自身であり、それ以上でも以下でもない。全ての醜い事象はだれのせいにもできない自分の問題であり、全ての美しい事象もしかりである。それは無意識という内部の未知が管理する世界の真理であり、それを読み解く事が芸術の意義だ。