分かれば出来ると思っている人がけっこう居る
分かれば出来るのならばプロ野球の選手がスランプに陥ることなどないだろう
誰でもすぐに自転車に乗れるはずだ
大学を卒業したあと、ぼくは統一劇場という劇団に入った。有名な役者は1人もいないが、日本全国を旅するプロの劇団だった。
数年後、統一劇場は三つの劇団に分かれた。ぼくはそのうちの一つである劇団「ふるさときゃらばん」の創立に参加した。
作家兼演出家だった石塚克彦氏は、昨年=2015年10月27日に急死された。ぼくが劇団にいた頃、石塚さんに紹介記事を書いていただいた。以下はその内容だ。
小2のJ君は、たし算とひき算の暗算にクリアできた。そこで次に、かけ算九九とたし算の筆算かどちらに挑戦するのかが問題になった。
学校ではまだかけ算は習っていない。たし算の筆算をしている最中だ。ところがオカダ式プリントの並びは、引き算の暗算の次はかけ算九九で、かけ算九九の次がたし算の筆算になっている。
たし算引き算の暗算がクリアできていれば、学校のたし算引き算の筆算で困ることはほとんどない。繰り上がり繰り下がりはもうそこそこできるからだ。
通信制で学んでいるK君(小3)が、約束の日ではないのに電話をかけてきました。K君は今、たし算の筆算で苦しんでいます。先日郵送してきたプリントは、半分近く間違えていたのに、全部○をつけてきたのです。その時、こんなやり取りをしました。
私がやっていることはとりあえずやってみる事を提案しやってみた後に振り返り次にどうするのかを一緒に考えて最後にどうするのかを学ぶご本人に決めてもらうことだ
別にテストなんかしなくても、授業を受けているだけで、自分がクラスの中でどのくらいの順位なのかは、子どもはわかってしまいます。先生の話を聞いている顔や、質問に答えられているかどうかなどで、自分より成績の良さそうな子、悪そうな子はだいたい見当がつくからです。
学ぶためには読み書き計算ができなければなりません
読み書き計算は何とかできるだけでは使い物にはなりません
読み書き計算が考える道具だからです
日本の小学校に入ってしまえば確実に保育園や幼稚園でもかなりの確率で自分の目で見たり自分の耳で聞いたりしたことから得た自分自身の実感よりも先生などの「権威のある人」が言ったことの方を優先することを事を学んでしまいます
偉い先生からありがたい言葉をいただいて覚えたり繰り返したりすることが学ぶことだった時代はもう終わりました
何かしらの興味を持った人たちが自分から集まってきて何か一つのことに取り組んで一段落したら振り返り良かったこと予想外の出来事より良くできそうなことなどを出し合ってまた次の挑戦をする