数学は公式があって、その公式群を問題に適用する順番が決まっている、あるいは決まっている順番で適用するれば答えがでる。
というような感覚があると思いますが、とんでもない誤解です。
数学のやり方を見ると、問題があって、定理があって、公理があって、公式があって、決まった順番にそれらを適用しているようにも見えるでしょう。
んー、まぁなんだろ。こう、ツーといえばカーという話でもないけど。こっちが一言発すれば、その技術的・思想的・科学的・歴史的背景を自前で参照し、こっちが言ったことに至ることを理解し、その上で同様のことを要求する返答が返ってくるという会話はものすごく楽。
ある種の文章や発表ではほんの少しだけ違う。その場合はこちらもそのモードで書いたり話したりする。でも、その場合でも上に書いた場合に近い。
えーと、人間が知能のピークを過ぎているという説についてのリンクを貼っときます。あくまでそういう説があるという話です。リンク先にある”Flynn Effect”の方も御覧ください。一応そっちもリンクを貼っときます。それともう一つ。人類の知性の進化の説についてもリンクを貼っておきます。
(まぁ、キリスト教系のアレな人達は、アダムとイブは完全な遺伝子を持っていたが、その後に遺伝子が劣化していると言っているということも添えておきます。)
SONYの最初のWALKMANでも、AppleのNewtonでも、PalmのPalmでも、AppleのiPodでもiPhoneでもiPadでも、googleのANDROIDでも、みな思想がある。
Mac OS X, iOS, ANDROIDには当然unixの思想も入っている。
技術には思想が必要である。思想がなければ技術を組み上げることはできない。そして、その技術を使うには、その思想を大まかにでも理解する必要がある。技術そのものや理屈を理解するのは極めて困難な場合もある。例えば大学の4年間をやり直す必要があるような…
前にも同じようなことを書いたかもしれませんが。その際はご容赦ください。
さて、人間は考えているのでしょうか? 心理学や脳生理学、言語学などなどなどなどが対象にしているのは、原則として「考えている人間」です。
さ て、チンパンジーの知的能力を測って、「これもできた」というような報告があります。ですが、それ、大体は「ほぼすべてのチンパンジーができた」というこ ととは限らない。「半数のチンパンジーが出来た」ということでもない。言ってみれば「特殊な個体において出来た」というようなものではなかろうかと思いま…
チャールズ・ダーウィンの「生涯と書簡」という本に、こういう一節があるそうです。
人間と他のすべての感覚のある生き物が、長期にわたるゆっくりとした進歩の後、完全に絶滅する運命にあるというのは、耐え難い考えである。
地球上でも完全に絶滅するのは10億年以上未来の話だと思いますが。
人間に限ったとして、かつ人間が現在程度の文明を維持できなくなった場合に限ったとしても、その場合でもまったく同感です。
飛び級というと、小学校の中でとか、小学校の途中から中学校へとか、中学校の途中から高校へとか、高校の途中から大学へとか、大学の途中から大学院へとかありますが。
どうも根本的に違うような気がします。そういうのがあっていいとは思います。ですが、それ以前に、小学校への就学年齢で小学校の3年生や中学校に入学させることを認める方がいいんじゃないかと思います。
というのも、単純に、「事物や言葉の間の関係」や、「抽象化、抽象概念の理解など」、ひとまとめに抽象概念の扱いの技能が、6歳かそこらだと、出来る人と出来ない人の差がとんでもないので…