芸術への入門 — 第1章 芸術とは何でしょうか? —

Japanese translation of “Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”

Better Late Than Never
79 min readOct 25, 2018

ノース・ジョージア大学出版部のサイトで公開されている教科書“Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。

第1章 芸術とは何でしょうか?

ジェフェリー・レミュー(Jeffery LeMieux)、パメラ・J・サチャント(Pamela J. Sachant)

1.1 学習成果

この章を終えたとき、あなたは次のことができるようになっているでしょう:

•芸術の定義と誰が芸術家なのかについての様々な歴史的議論を認識する。
•芸術と工芸を区別する議論に触れる。
•ある対象が芸術であるか否かについての主張を複数の視点から批判的に評価する。
•誰が芸術家とみなされるのかについてと、鑑賞者の役割についての質問に触れる。
•人々が芸術を制作してきており、そして制作し続けている様々な理由について、生産的に推測する。
•あなたの直感的な芸術の理解を認識するとともに、望ましくは、歴史的および文化的に多様な芸術の対象を組み込み、概念的な挑戦に答えるような、視覚芸術の性質および定義の幅広くより包括的な見方を構築する。

1.2 はじめに

私たちは、イメージが重要な、さらに言えば中心的な役割を果たすような、急速に変化する世界に住んでいます。個人用の電子機器の普及に伴い、私たちは瞬時に音声、映像、テキストメッセージを送受信します。世界中の企業や政府が宣伝の力を認識しています。世界中の美術館では、コレクションの大部分をオンラインにのせています。今日、私たちは、10年前には入手できなかった安価な機器で作られた劇場クオリティーの映画を見ています。自撮り、個人的なビデオ、そしてミームはどこにでもあります。1968年に、芸術家のアンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928–1987年、米国)は、「将来、誰もが15分間だけ世界的に有名になるだろう」と語りました。(セルフポートレート(Self Portrait)、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol): https://art.newcity.com/wp-content/uploads/2011/05/Warhol_SelfPortrait.jpg)私たちは、たった20年前には最も先進的なプロのスタジオでのみ可能だった洗練さに匹敵する個人用の電子機器の登場によって、その予測が実現しているのを目にしています。私たちはイメージに囲まれていますが、しかし、私たちの巧みな技術的能力にもかかわらず、視覚芸術の基本的なダイナミクスは変わりません。

数分の間、添付の画像「盲目のホメーロスとその案内人(Blind Homer and His Guide)」を見てください。(図1.1)これは1875年に、フランスの美術学校(École des Beaux Arts)の有力なメンバー、ウィリアム-アドルフ・ブグロー(William-Adolphe Bouguereau、1825–1925年、フランス)によって描かれ、この頃にヨーロッパで制作されたこの種の絵画の良い例となっています。私たちは、100年以上前に外国で制作された絵画が、今日の私たちにいったい何をもたらすことができるのだろうかと不思議に思うかもしれません。

図1.1 | 盲目のホメーロスとその案内人(Blind Homer with Guide), Artist: ブグロー(Bouguereau), Author: User “Thebrid”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

フランスのアカデミーの芸術家であるブグローによるこの絵画は、古代史における忘れられた瞬間を忠実に表現したもの以上のものです。この絵画は、あらゆる時代の鑑賞者に対して、より深く進み、歴史の背後にある象徴性を見るように挑戦します。紀元前1000年頃に生きていたと考えられているホメーロスは、古代ギリシャの最高の詩人でした。社会的役割と美徳の性質に関する古代ギリシャの考え方は、一部はホメーロスの叙事詩である「イーリアス」と「オデュッセイア」から私たちに伝わってきます。ブグローの絵画では、ホメーロスは文明と文化を象徴しています。ホメーロスは、彼を助ける1人の若者だけを伴って、野生の荒野を盲目のままさまよっています。この方法において、ブグローは、荒野とは単に肉体的であるのみならず文化的でもあり、その意味では、私たちすべてが文化の中に見られる人間の精神を脅かすような荒野をさまよっていることを含意しています。彼の絵画は、「文化的価値はどのようにして前へと運ばれていくのか?」という質問を問うています。ブグローの作品では、若者が、過去の洗練された知恵と西洋文化の基盤を象徴するホメーロスを守る責任を負っています。この画像は、ブグローの世代の(そして私たちの世代にとっての)若者に対して、絶え間なく脅かし続ける荒野を抜けて貴重な文化を安全に前進させるよう呼びかけるものです。

私たちが人間を見るところではどこでも、私たちは視覚芸術を見つけます。視覚芸術の作品は、私たちの祖先についてだけでなく、視覚芸術そのものの性質についても疑問を投げかけています。芸術とは何でしょうか?芸術家とは誰でしょうか?なぜ芸術家は芸術を制作するのですか?鑑賞者の役割は何ですか?すべてのものが芸術とみなされますか?人々はどのようにして時代の中で芸術を定義してきましたか?今日では、私たちは芸術をどのように定義しますか?

この章で私たちは、これらの質問をより詳細に検討します。この検討の目的は、2つあります。それらのイメージの技巧に対するあなたの意識を高めること、そして、それによって、私たちが日常生活で遭遇する視覚芸術をより効果的に理解することです。イメージは強力です。イメージは私たちの文化の中で多くの方法で使用されていますが、そのすべてが無害なものというわけではありません。私たちが視覚的なリテラシーを強化すると、私たちを取り巻く強力なイメージに対する私たちの意識が高まります。

1.3 視覚芸術とは何でしょうか?

ある主題を探求するには、最初にその主題を定義する必要があります。しかしながら、芸術を定義することは困難です。あなたは「それは技芸(art)ではあるかもしれないが、それは芸術(Art)ではない」という言葉を聞いたことがある(あるいは自分自身で言ったことがある)かもしれませんが、それは「私はそれをどのように定義するのか分からないかもしれないが、私がそれを見たときには、私には分かる」ということを意味しています。

私たちが見るところすべてに、欲望のイメージ、力のイメージ、宗教的イメージ、思い出を想起させるイメージ、私たちの好みを操作するよう意図されたイメージなど、私たちの注目を集めるように設計されたイメージが見られます。しかし、それらは芸術でしょうか?

いくつかの言語は、芸術のために振り分けられた言葉を持っていません。それらの文化では、対象物はその目的では実用的でありますが、しばしばそのデザインには、喜ばせたり、特別な状況を描いたり、重要な出来事や儀式を記念したりする意図が含まれていることがあります。したがって、その対象物は芸術とはみなされませんが、芸術的な機能を持っています。

1.3.1 芸術の考え方の歴史的発展

人間の先史時代から今日まで、芸術の考え方は発展的に進歩しています。時間の経過による芸術の定義の変化は、以前の定義の問題を解決するための試みとして見ることができます。古代ギリシャ人は、視覚芸術の目標を、複製すること、あるいは模倣として理解していました。19世紀の芸術理論家は、芸術はコミュニケーションであるという考え方を促進しました。それは鑑賞者の中に感情を生み出すものです。20世紀初頭には、重要な形式という考え方、すなわち、審美的に喜ばれる対象物によって共有される性質が、芸術の定義として提案されました。今日、多くの芸術家や思想家は、焦点を芸術作品そのものから、何が芸術であり何が芸術でないかを決める力を誰が持っているのか、へと移す芸術の制度理論に同意します。この芸術の定義の進展は網羅的ではありませんが、それは教育上は有益なものです。

1.3.1.1 模倣

古代ギリシャにおける模倣、すなわち現実世界の模造という芸術の定義は、ジュークシス(Zeuxis)とパルハッシオス(Parhassios)の神話に現れています。2人は、紀元前5世紀末の古代ギリシャでライバル関係にあった画家であり、最も偉大な芸術家の称号を獲得するために競っていました。(図1.2)ジュークシスは、器に盛られたブドウを描きましたが、それはあまりにも実物にそっくりだったので、果物の像をつつくために鳥が下りてきたほどでした。パルハッシオスはこの成果に心を動かされることはありませんでした。一方で、ジュークシスは、パルハッシオスの作品を見るとき、ライバルの作品をよりはっきりと見ることができるように、絵画の上のカーテンを引き上げるように頼みました。パルハッシオスは、このカーテンが絵画であり、ジュークシスは彼の作品で鳥をだましたが、パルハッシオスはものを考える人間をだましており、これはずっと難しいことだとして、自らを勝者と宣言しました。

図1.2 | 敗北を受け入れるジュークシス:「私は鳥をだましたが、パルハッシオスはジュークシスをだました。」(Zeuxis conceding defeat: “I have deceived the birds, but Parhassios has deceived Zeuxis.”), Artist: ヨアキム・フォン・サンドラルト(Joachim von Sandrart); engraving by ヨハン・ヤコブ・フォン・サンドラルト(Johann Jakob von Sandrart), Author: User “Fae”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

古代ギリシャ人は、視覚芸術家の目標は視覚体験を複製することだと感じていました。このアプローチは、古代ギリシャの彫像と陶器の写実主義に現れています。悲しいことに、時間と気象の作用のために、古代ギリシャの芸術家による絵画は今日では1つも存在していないことに私たちは注意しなければなりません。私たちは、ジュークシスとパルハッシオスのような物語、古代ギリシャ彫刻の疑う余地のない技能、古代ギリシャの陶器の上で生き残った描画などを基にして、その質を推測することができるだけです。

しかし、現実を複製するというこの芸術の定義には問題があります。1950年代のニューヨーク・スクールの旗手であったジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912–1956年、米国)は、彼の芸術の中で、存在している物体を意図的に複製しませんでした。(図1.3)これらの作品を描いている間、ポロックと彼の仲間の芸術家たちは、認識可能な物体に似たしるしや跡をつけることをおそらく意識的に避けています。彼らは何も複製しなかった芸術作品を作ることに成功しており、古代ギリシャにおける模倣 — 単純な複製 — としての芸術という見方は、芸術を十分に定義していないことを実証しています。

図1.3 | 左: 雌オオカミ(The She-Wolf); 右: ゴシック(Gothic), Artist: ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock), Author: Gorup de Besanez, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0

1.3.1.2 コミュニケーション

その後の芸術を定義する試みは、19世紀のロシアの作家レフ・トルストイ(Leo Tolstoy)から来ています。トルストイは、多くの主題について書いており、偉大な小説「戦争と平和(War and Peace)」(1869年)の著者です。また、彼は芸術理論家でもありました。彼は、芸術とは感情のコミュニケーションであると提唱して、「なんらかの外側へ向けた表示によってある人が意識的に自身の経験している感情を他者に伝え、その他者はそれらの感情に影響を与えられ、またそれらを体験する。芸術とは、これの中に存する人間の活動である」と述べました。[1]

[1] Leo Tolstoy, What is Art? And Essays on Art, trans. Aylmer Maude (London: Oxford University Press, 1932), 123. [「芸術とはなにか」中村融訳、角川書店、1990年]

この定義は、芸術家の感情が他の人にきちんと伝わっているかを確認することができないため、うまくいきません。さらに、ある芸術家が芸術作品を作ったものの、他の誰にも見せていないと仮定してみてください。この作品を通してはなんの感情も伝達されなかったのに、それはまだ芸術作品であるのでしょうか?この作品は決して見られることはなかったので、何ひとつとして「他者に伝えて」いませんでした。したがって、トルストイの定義に従うと、それは芸術には当てはまらないでしょう。

1.3.1.3 重要な形式

既存の芸術の定義におけるこれらの制限に対処するために、1913年に英国の芸術評論家クライブ・ベル(Clive Bell)は、芸術とは重要な形式、すなわち「審美的な喜びを私たちにもたらす質」であると提案しました。ベルは、「芸術作品を理解するためには、私たちは形式と色彩の感覚のみを身に着けることを必要とする」[2]と述べました。ベルの見解では、「形式」という用語は単に線、形、質量、色を意味します。重要な形式とは、あなたの意識のレベルまで上昇し、あなたにその美しさの中にある顕著な喜びを与えるような、それらの要素の集合です。残念なことに、美学、つまり美しさの中にある喜びと芸術の理解は、その測定や信頼性に足る定義が不可能です。ある人に審美的な喜びをもたらすものは、他の人に影響を与えないかもしれません。審美的な喜びは、鑑賞者の中にのみ存在し、対象物の中には存在しません。したがって、重要な形式とは、純粋に主観的なものです。クライブ・ベルは、芸術を厳格な表現を必要とするところから引き離すことにより、芸術についての議論を進めましたが、彼の定義は、何が芸術の対象としての資格を持ち、何が持たないかの理解に私たちを近づけてはくれません。

[2] Clive Bell, “Art and Significant Form,” in Art (New York: Frederick A. Stokes Company, 1913), 2

1.3.1.4 芸術世界

今日広く受け入れられている芸術の定義の1つは、1960年代にアメリカの哲学者ジョージ・ディッキー(George Dickie)とアーサー・ダントー(Arthur Danto)によって最初に打ち出されたものであり、芸術の制度理論、または「芸術世界」理論と呼ばれています。この理論の最も単純なバージョンでは、芸術は「芸術世界を代表して行動する人または人たち」によって芸術として指定されている対象または条件の集合であり、この芸術世界とは、何が芸術であり何が芸術でないかを決定する「複雑ないくつもの力の場」です。[3]残念なことに、この定義は、芸術についてのものではまったくないため、私たちには何の役にも立ちません!その代わりに、それは芸術を定義する力を持つのは誰かについてのものであり、これは政治的な問題であって、美学的な問題ではありません。

[3] George Dickie, Art and the Aesthetic: An Institutional Analysis (Ithaca, NY: Cornell University Press, 1974), 464.

1.3.2 芸術の定義

私たちはそれぞれ自分の立場や視点から世界を認識し、その知覚から世界の精神的なイメージを作ります。科学とは、試験や観察を通して、知覚をこの宇宙の一貫した精神的な像へと変えるプロセスです。(図1.4)科学は種々の概念を世界から心へと動かします。科学は、世界の仕組みを理解し、その理解を使って良い予測をすることができるため、非常に重要です。芸術は、世界について私たちが経験することのもう1つの側面です。芸術は種々の考え方を心から世界へと動かします。

図1.4 | 知覚:芸術と科学(Perception: Art and Science), Author: ジェフェリー・レミュー(Jeffrey LeMieux), Source: Original Work, License: CC BY-SA 4.0

私たちは、芸術と科学の両方が世界に存在することを必要とします。私たちの最も初期の時代から、私たちは世界を観察し、世界を変えるために物事をなしています。私たちは皆、科学者であり芸術家でもあります。あらゆる人間の活動は、科学(観察)と芸術(表現)の両方を持っています。たとえば、ヨガの訓練に参加したことのある人は誰でも、呼吸のような簡単なものでさえ、芸術と科学の両方を持っていることがわかります。

この芸術の定義は、美術館、ソーシャルメディア、または日々の通勤の途上でも見られるさまざまな範囲の対象をカバーしています。しかし、この芸術の定義は十分ではありません。より大きな疑問は、どのような芸術が注目に値するのか?、私たちが芸術を見つけた時に、私たちはどのようにしてそれを知ることができるか?、です。最終的には、私たちのそれぞれが、自分自身のためにその質問に答えなければなりません。

しかし、もし私たちが望むなら、私たちは助けを持っています。芸術について学術的に研究をしてきた人々は、どのような芸術が重要であり、なぜそうであるかについての考え方を提供することができます。この文章の中では、芸術についてのそれらの考え方のいくつかについて検討します。個人を尊重することの重要性のために、どの芸術が最良であるかについての決定は、個人に属するものでなければなりません。私たちは、学生が種々の考え方を提示されたとおりに理解することだけを求めます。

何が最良であるかについての質問や問題に挑戦するとき、私たちはまず「私は個人的にそれについて何を知っているだろうか?」と尋ねます。私たちの個人的なリソースが限られていることに気づいたら、私たちは友人、隣人、親戚に彼らが知っていることを聞くかもしれません。これらの重要なリソースに加えて、教育を受けた人は、文学、哲学、芸術の歴史の研究から導き出された可能な解決策のより大きな集合を参照することができます。英国の詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley)は、彼のエッセイ「詩の擁護(Defense of Poetry)」(1840年)の中で真実について何と言ったでしょうか?(図1.5)フランスの哲学者ジャン-ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)は、彼の論文「エミール、または教育について(Emile or On Education)」(1762年)の中で人間本性について何を主張しましたか?(図1.6)ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer、1632–1675年、オランダ)は、彼の絵画「天秤を持つ女(Woman Holding a Balance)」の中で家庭内の空間の静かな尊厳について私たちに何を示しましたか?(図1.7)これらの芸術作品や文学作品を体験することを通じて、そのようなことに関する私たちの考え方をテストしたり、検証したり、欠けているものを見つけたりすることができます。

図1.5 | パーシー・ビッシュ・シェリーの肖像画(Portrait of Percy Bysshe Shelley), Artist: アルフレッド・クリント(Alfred Clint), Author: User “Dcoetzee”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain
図1.6 | ジャン-ジャック・ルソーの肖像画(Portrait of Jean-Jacques Rousseau), Artist: モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(Maurice Quentin de La Tour), Author: User “Maarten van Vliet”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain
図1.7 | 天秤を持つ女(Woman Holding a Balance), Artist: ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer), Author: User “DcoetzeeBot”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

これから私たちは、多様な文化や時代における視覚芸術の作品を検討します。読者としてのあなたへの挑戦は、文脈、視覚的ダイナミクス、内観の使用を通じて芸術作品を解釈し、それらを一貫した世界観に統合する能力を高めることです。芸術との出会いによる最善の結果とは、心と精神を新しい視点に目覚めさせることです。自分自身を超えて伸びた心は、元の次元に戻ることは決してありません。

1.3.3 美術の区別

上で提案された私たちの芸術の定義によると、工芸と美術は、どちらも心から世界へと来ているために区別できないように見えるかもしれません。しかし、工芸と芸術の区別は現実にあり、また重要です。この区別は、最も一般的には、対象物の使用や最終目的、または使用される材料の効果に基づいて理解されます。陶器、織物、ガラス、および宝飾品は長い間、芸術ではなく工芸の分野とみなされていました。対象物の意図された使用が日常生活の一部であった場合、それは一般に美術品ではなく工芸品であると考えられていました。しかし、キルトのようにもともと機能的であることが意図されていた多くの対象は、今や美術としての資格があると考えられています。(図1.8)

図1.8 | キルト(Quilt), Artist: ルーシー・ミンゴ(Lucy Mingo), Author: User “Billvolckening”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 4.0

それでは、芸術と工芸の違いは何でしょうか?大工や配管のような工芸の訓練を受けたことがある人は誰でも、工芸が公式、すなわち、どのように作業が行われるかだけでなく、その作業の結果がどのようなものでなければならないかを統制する一組の規則に従っていることを理解します。工芸のレベルは、最終製品があらかじめ定められた結果にどれくらい厳密に一致しているかによって判断されます。私たちは、家がきちんと立っており、蛇口をひねると水が流れることを望みます。一方、美術は、その結果や妥当性のためのあらかじめ定められた公式に依存しない、自由で開かれた探究の結果です。その結果は、驚くべきものであり、オリジナルなものです。ほとんどすべての美術の対象物は、ある程度において工芸と芸術の組み合わせです。芸術は工芸の上に立脚していますが、それを超えて進みます。

1.3.4 なぜ芸術が重要なのか

アメリカの物理学者J・ロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)は、第二次世界大戦(1939–1945年)中のマンハッタン計画の一環として核兵器開発に果たした役割のために、「原子爆弾の父」とみなされています。(図1.9)彼はこのプロジェクトの完了に際し、ヒンドゥー教の叙事詩「バガヴァッド・ギーター(Bhagavad Gita)」を引用し、「いま私は、死、すなわち世界の破壊者となった」と述べました。明らかに、オッペンハイマーはその教育の中で物理学の教科書以上のものを読んでおり、それは第二次世界大戦中の彼の重要な役割にうまく合っていました。

図1.9 | J・ロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer), Author: Los Alamos National Laboratory, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

たとえば、私たちが数学や科学の訓練を受けるとき、私たちは非常に力強くなります。力は良く使用されることもあれば、悪く使用されることもあります。私たちの学校の中では、力を賢く使う方法についての授業はどこにあるでしょうか?今日、リベラル・アーツ大学の教育では、学生たちには、知恵に関する幅広い考え方を検討し、力を有する者を人間化するために、人間の文化の科目や歴史を調査することが求められています。それを念頭に置くと、大学で履修されるすべての講座では、何が知恵と考えられるのかの研究に基づいてあなたの増大する知的な力と知恵とを結びつける必要性を認識するとともに、人文学におけるひとつひとつの教育経験を、私たち自身と私たちの共同体にとって良いこととは何かの追求の一部として見る必要性を認識することが望まれます。

この文章は、何が良い芸術で何がそうでないかや、なぜ芸術が重要なのかを決定することを意図していません。むしろ、この文章のポイントは、あなたが意味の担い手である芸術作品を分析し、解読し、解釈し、それらの作品の長所についてあなた自身の判断を下し、そしてそれらの判断をあなたの日常生活へと役立つように統合することを可能にしてくれる知的な道具立てをあなたに授けることです。

1.4 誰が芸術家とみなされますか? 芸術家であるとはどういうことを意味しますか?

今日の世界の多くでは、芸術家とは、創造的な作品を概念化し、作成する才能と技能を持つ人物とみなされています。そのような人たちは、彼らの芸術的かつ独創的な考え方によって選抜され、評価されます。彼らの芸術作品は、建築、陶芸、デジタルアート、素描、ミックス・メディア、絵画、写真、版画、彫像、織物など、さまざまな形式を取り、多くのカテゴリーに当てはまります。もっと重要なことは、芸術家とは、私たちが日常生活のあらゆる面で遭遇し、使用し、占有し、楽しむような画像、対象物、構造を構想し、設計し、製作するという欲求と能力を持つ個人のことです。

歴史を通じて、また文化を超えて行われてきたように、今日では作成したり建築したりする人々のためのさまざまな肩書があります。たとえば、職人または工匠は、キルトやかごなどの装飾的または実用的な芸術を生み出すかもしれません。しばしば、職人や工匠は熟練した労働者であるものの、オリジナルな考え方や形式の発明者ではありません。職人や工匠は、彼らの独自のデザインを創造する人物であるかもしれませんが、絵画や彫像などの、いわゆる美術と呼ばれるものに伝統的に関連づけられてきた芸術の形式や材料によって仕事をすることはありません。その代わりに、工匠は、宝飾品を製作したり、鉄を鍛造したり、ガラスを吹き上げることによって、彼らの独自の工夫のパターンや対象物を作り上げます。このような創造的で熟練した作品は、現在ではしばしば、美術工芸品(Fine Craft)または工芸芸術(Craft Art)として分類されています。

歴史のほとんどを通じて多くの文化では、制作し、飾り付け、絵を描き、建築した人々は、いま私たちが考えるような芸術家とはみなされていませんでした。彼らは職人と工匠であり、彼らの役割は、彼らを雇う人たちと合意した(彼ら自身か他の人の)デザインに従って、彼らが雇われた目的である対象物を作り、構造物を建築することでした。それは、彼らが訓練されていないと言っているわけではありません。たとえば、中世ヨーロッパ、あるいは中世(5~15世紀)には、職人は一般的に12歳の頃から見習いとして、つまり、自分の工房を持つ親方から職業のすべての面を学ぶ生徒として歩みだしました。見習いは5年から9年以上続き、絵画からパン焼き、石工からろうそく作りにいたるまでの様々な職業を学ぶことが含まれていました。その期間の終わりには、見習いは年季明けの職人になり、その職業で働く人のための訓練と基準を監督する工芸ギルドのメンバーになることが許されました。このギルドで完全な地位を得るためには、年季明けの職人は、親方と呼ばれるのに十分な技能と職人技を持っていることを示す「傑作(masterpiece)」を完成させなければなりませんでした。

私たちは、他の多くの時代と文化で芸術家がどのように訓練されたかについての情報をほとんど持っていませんが、制作された芸術作品の例を見て、芸術家であることがどのような意味を持つのかをいくらか理解することができます。「グデアの座像(Seated Statue of Gudea)」は、メソポタミア南部、今日のイラクに位置する国家ラガシュを紀元前2144–2124年頃に統治していた支配者を描写しています。(図1.10)

図1.10 | グデア(Gudea), Source: Met Museum, License: OASC

グデアは数々の神殿を建てたことによって知られています。多くの神殿は王国の主要都市ギルス(今日のイラクのテロオ)にあり、その中には彼自身を描いた彫像が置かれていました。これらの作品では、彼は開かれたにらむような目で座ったり立ったりしていますが、それ以外は穏やかな表情と祈りと挨拶のジェスチャーで折り畳まれた手があります。ここに掲載したものを含む多くの彫像は、閃緑岩から彫り出されています。この閃緑岩は、非常に堅い石で、その希少性とそれに刻むことができる細い線のために古代エジプトと近東の支配者によって好まれていました。このような正確な線を刻む能力は、この作品を彫り出した職人が、グデアの握りしめた手のそれぞれの指や、彼の定型である羊飼いの帽子(どちらも民衆の幸福と安全に対するこの指導者の献身を意味している)の円形の模様を区別し、強調することを可能にしました。

グデアの彫像は、確実に熟練した職人によって刻まれていましたが、私たちはその人、あるいは古代世界で働いた職人や建築家の大多数の人々の記録を何ひとつ持っていません。彼らが仕えていた人と彼らが創り出したものが、彼らの人生と芸術性の記録です。職人は、グデアのような支配者の像を作成する際には、オリジナルなアプローチをとって、自分たちを際立たせることによって評価されていたわけではありません。彼らの成功は、人間の姿がどのように描かれるかの基準と、特にその時のその文化の中で指導者はどのように見えるべきかの基準の中で仕事をする能力に基づいていました。たとえば、大きなアーモンド形の目と、コンパクトでブロック状の人物の形状が、その時代の彫像の典型です。この彫像は、グデアに個人的に似ていることを意図したものではありません。むしろそれは、その時間と場所におけるすべての芸術に見られる特徴的な容貌、姿勢、および割合を描いたものです。

古代の世界では、粘土から作られた物体は、金属や石で作られた物体よりもはるかに一般的でした。「グデアの座像」などの金属や石で作られた物体は、はるかに高価で時間がかかり、作成が困難でした。ヨーロッパでは、紀元前29000–25000年にまでさかのぼる粘土で作られた人間の像が発見されており、中国の江西省で発見された最も初期の陶器は、紀元前18000年頃にさかのぼります。粘土で作られ窯で焼いた器は、近東で紀元前8000年頃に初めて作られ、これは「グデアの座像」が刻まれる約6000年前のことです。陶磁器(熱で硬化した粘土)のつぼは、保管や数多くの日常の必要性に合わせて用いられました。それらは匿名の職人たちによって作られた実用的なものでした。

しかしながら、古代ギリシャ人の間では、陶器は芸術の形式のレベルにまで上昇しました。しかし、そのつぼを作ったり絵を描いた人の地位はそうではありませんでした。彼らの仕事は求められていたかもしれませんが、これらの陶工と絵付け人は依然として職人とみなされていました。ギリシャ独自と言われる陶器の起源は、紀元前1000年頃にさかのぼるもので、プロト幾何学時代として知られています。その後の数百年の間、これらの器の形や装飾のモチーフとその上に描かれた主題の種類は、それらが製作された都市に関連付けられるようになり、そしてつぼを製作し、装飾を施した個人に関連付けられるようになりました。陶工と絵付け人が署名したつぼの種類は、一般に大型で精巧に装飾されたものであり、そうでなければ儀式や式典の目的で使用される特別な器でした。

それは、紀元前363–362年の「パナシナイコ懸賞アンフォラ(Panathenaic Prize Amphora)」の事例であり、これは陶工ニコデモス(Nikodemos)によって署名されており、名前は知られていないものの、他の絵付けされたつぼとの類似性によって特定されている結婚の行進の画家(Painter of the Wedding Procession)に帰されています。(図1.11)パナシナイア(Panathenaia)とは、4年ごとにギリシャのアテネの守護女神アテナ(Athena)を祝って行われる祭典であり、アンフォラ、つまり背が高く2つの持ち手のついた首の細い瓶には、このアテナが描かれていました。この貯蔵瓶の反対側には、勝利の女神ニケ(Nike)が、拳闘の大会の勝者に冠を授けており、その勝者にはアテナの街からこのつぼが贈られますが、その中にはアテナの神聖な木からとられた貴重なオリーブオイルが入っていました。そのような重要な儀式の一部であり、そのような重要な賞品を入れるつぼを作るために、最高の陶工と絵付け人だけが雇われました。大多数の職人は自分の作品で自分自身の身元を特定することはありませんでしたが、これらの注目すべき人物は目立つようにされ、名前をもって認められていました。作者の署名は、最高の品質の賞品を授与するという都市の願いを示しました。それらはその時代において陶工と絵付け人の昇進として機能し、以来それは彼らを不滅のものにしてきました。しかしながら、つぼの中の賞品は、器やそれを作った熟練した職人よりもはるかに重要とみなされていたことを忘れてはいけません。

図1.11 | 蓋のついたパナシナイコ懸賞アンフォラ(Panathenaic Prize Amphora with Lid), Artist: ニコデモス(Nikodemos), Source: The J. Paul Getty Museum, License: Open Content

中国は、元朝(1271–1368年)として知られていた時期に、北方のモンゴル人、最初はクビライ・カーン(Kublai Kahn)の下で統一され、支配されていました。巻物の絵画「梨花図巻(Pear Blossoms)」は、銭選(Qian Xuan、1235頃-1307年以前、中国)によって、1280年頃に紙の上に墨と染料を使って作成されました。(図1.12)モンゴル人による政府の樹立後、銭選は、進士(中国を統治した高度な教育を受けた官僚として知られる学者-役人)として地位を得ようという目標を放棄し、絵画に転向しました。彼は、学者-画家、または文人として知られている一群の芸術家の一員でした。学者-画家たちの作品は、専門的で訓練された芸術家による統一された写実的な絵画よりも、より個人的で表現力豊かでのびのびとしていると考えられていたため、多くの芸術の称賛者にとって望ましいものでした。学者-画家の哲学、文化、芸術(書道を含む)に対する洗練された深い知識によって、彼らは仲間の学者や宮廷で歓迎されました。彼らは、特に詩の芸術において、知恵と優雅さをもって自分自身を表現するという儒教の教えの中の長く高貴な伝統に連なる、指導者たちのエリート階級の一員でした。

図1.12 | 梨花図巻(Pear Blossoms), Artist: 銭選(Qian Xuan), Source: Met Museum, License: OASC

銭選は、絵画と詩を結合した最初の学者-画家の1人でした。彼は「梨花図巻」の中に以下の詩を残しています。

軒先の欄干に一人、
枝にしたたる涙、
彼女の顔は飾り気はないが、
彼女のかつての魅力は残っている。
閉じられた門の後ろ、雨の夜に、
彼女はいかに悲しみで満たされているか。
暗闇が落ちる前、月明かりの
金色の波を浴びた彼女はどのように見えるのか。

この詩は、繊細で若葉や花を持つ枝という彼の絵画を説明したり記述したりすることを意図したものではありません。むしろ、葉の揺れ、不規則な線、穏やかに広がっている花の曲線は、時間が経つのはどんなに早いか — 繊細な花はすぐにしおれてしまうでしょう — の比較を示唆し、過去の記憶を思い起こさせることを意図しています。

13世紀の中国では、その国の歴史の大部分にわたってそうであったように、絵画の重要性は、芸術家の身元と、その後の世紀にわたり作品を所有する学者や収集家と密接に関連しています。彼らの身元は、署名の役目を果たすあるいは、朱で押された印章によって知られ、それぞれが芸術作品にそれを加えました。具体的な主題とその描き方はその芸術家に関連づけられ、後の作品では、以前の達人の技能と専門知識を尊重し、認めていることのしるしとして他の芸術家たちにより参照されました。「梨花図巻」では、それまでもしばしばそうであったように、詩と芸術家が書いた書は、描かれた巻物全体の元の構成の一部でした。その後700年にわたり、その構成や、その美しさと意味に対して、後の学者や収集家によって付された印と書き込まれた注記が加えられ続けました。

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler、1834–1903年、米国、英国に居住)は、1883年に「肌色と黒のアレンジメント、テオドール・デュレの肖像(Arrangement in Flesh Colour and Black, Portrait of Theodore Duret)」を描いたとき、中国人と日本人の陶工が彼らの陶磁器の上に署名として使用した作成者のマークを、彼がその作品に採用したモノグラムの中で参照しました。それは、彼のイニシャルに基づく蝶の様式化されたデザインでした。(図1.13)ホイッスラーは、1860年代に、蝶と認識はできるが変形された形、しばしば踊っているように見えるものでもって彼の作品に署名し始めました。彼は、日本の磁器や版画を集め始め、エレガントな簡潔さ、静けさ、繊細さ、自然さ、控えめな美しさ、非対称性や不規則性など、芸術の中の日本の美の原則を反映したその色、模様、構成に大きく影響されました。

図1.13 | 肌色と黒のアレンジメント、テオドール・デュレの肖像(Arrangement in Flesh Colour and Black: Portrait of Theodore Duret), Artist: ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler), Source: Met Museum, License: OASC

ホイッスラーは、芸術の学生が教えられるものやそのやり方、そして伝統的な芸術の展示会の中にある抑制的な制約と彼らが信じるものから脱却しなければならないと感じている、19世紀後半の数多くのアメリカ人とヨーロッパ人の芸術家の中にいました。ホイッスラーと他の人たちにとって、そのような制限は耐えられないものでした。芸術家として、彼らは彼ら自身の創造的な声や追求に自由に従うことが許されなければなりません。ホイッスラーは、芸術の中の日本の美の原則を採用することによって、「芸術のための芸術」と彼が呼ぶものを追求することができました。つまり、彼は、芸術家としての彼が目、心、魂を上昇させ、調和させ、喜ばせると思うことを表現する以外の目的を果たさない芸術を創造することができました。

芸術はすべてのくだらない物事とは独立して、それのみで立っているべきである。そして芸術は、献身、哀れみ、愛、愛国心など、完全に異質な感情と混合することなく、目や耳の芸術的感覚に訴えかけるべきである。それらすべては、芸術については何らの関心もない。それこそが、私が私の作品を「アレンジメント」や「ハーモニー」と呼ぶことを主張する理由である。[4]

[4] James Abbott McNeill Whistler, The Gentle Art of Making Enemies (New York: Frederick Stokes & Brother, 1908), www.gutenberg.org/files/24650/24650-h/24650-h.htm

このように芸術家を、行き渡っている文化的・知的基準と対立する特別な資格と感性を持つ人物として区別することは、13世紀の中国の銭選のような学者-画家が果たした役割とはほど遠いものでした。ホイッスラーはしばしば、自分自身と彼の芸術が当時の慣習と矛盾していると考えていたのに対し、銭選が創作した作品は行き渡っている基準に従っていました。16世紀以来ヨーロッパ(そして後にアメリカ)に存在していた芸術家の1つの概念あるいは分類が持続している中では、ホイッスラーは、その芸術がしばしば誤解され、必ずしも受け入れられない独特で創造的な天才でした。

それは確かに事実でした。1878年にホイッスラーは、彼の1875年の絵画「黒と金色のノクターン:落下する花火(Nocturne in Black and Gold: The Falling Rocket)」のことを「公衆の顔面に絵の具のつぼを投げつけた」と評した芸術評論家のジョン・ラスキン(John Ruskin)に対する名誉毀損訴訟で勝訴しました。(図1.14)ホイッスラーは1880年ごろ、その辛辣な訴訟の余波の中で、しばしば彼の芸術の穏やかな美しさと、彼の性格の強硬な、時には刺すような性質の両方を象徴するように、蝶のモノグラムに長い針を付け加えました。

図1.14 | 黒と金色のノクターン:落下する花火(Nocturne in Black and Gold: The Falling Rocket), Artist: ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler), Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

1.5 鑑賞者の役割

芸術家や工匠は、芸術作品を作成する際に観衆を念頭に置いています。ある時には、観衆はその芸術家自身です。しかしながら、ほとんどの場合、観衆 — 鑑賞者 — は他の誰かです。それは、芸術家が個人的に知っている個人またはグループの人々かもしれませんし、または特定の文脈や何らかの目的で作品を見ることを芸術家が知っている人々であるかもしれません。芸術家はまた、将来の未知の時間や場所で、芸術家や作品そのものについての情報がほとんどない中でそれを見る人々にとって、芸術作品がどんな意味を持つか、あるいは影響を与えるかを検討することもできます。あるいは芸術家は、感情を表現する必要性または欲求を感じており、鑑賞者が作品にどのように反応するか、さらに言えば鑑賞者がその作品や、それがなぜ作成されたのかを理解することには関心がないかもしれません。

芸術作品の鑑賞者として、私たちはしばしば、芸術家が何を意図したのか、時には芸術家が何を描いたのかについても十分な知識を持っていないことに気づきます。しかしながら、その情報を持っていないということは、必ずしも私たちがその作品を楽しむことを妨げるものではなく、またその楽しみを損なうものでもありません。代わりに、私たちは色が鮮やかであること、主題が興味をそそるものであること、または構成がリラックスさせるものであることに気づくかもしれません。言い換えれば、私たちは、作品や芸術家についての詳細の必要性を感じることなく、芸術作品を見るだけで単純に楽しむことができます。しかし、私たちが見ているものをより良く理解して評価するためには、芸術家や芸術作品についての情報をいくらか持っていると便利な場合もあります。

紀元前40000~12000年頃の後期旧石器時代に洞窟の壁に画像が描かれたり刻まれたりした場所が、世界各地にいくつも存在します。画像の大半は動物のものですが、手の輪郭、人物、弓や矢などの道具、スポークのついた車輪や平行線などのデザインも見られます。それらは、南極を除くすべての大陸で数万年以上にわたってそれらの画像が描かれていたという事実を含む、多くの顕著な特徴を持っています。著しい差があるにもかかわらず、すべての時代とすべての場所で描写された主題のタイプは実によく似ています。しかし、それらは先史時代、つまり人間が書かれた記録を残す前に作られたものであるため、それらについて私たちが知ることができるのは、画像そのものを見ることにより、また同じ場所や時代から見つけた他の物体を研究することにより解釈できることだけです。

学者たちは、なぜ画像が作られたのか、それらが何を意味するのかについて、数多くの考え方を提出してきました。描かれた動物には、馬、雄牛、バイソン、および鹿が含まれ、これらの動物はすべて約3万年の期間、狩猟されていました。その理由から、この絵画は、狩猟する動物を描写することによって、狩猟の成功に対して期待を表明したり、感謝したりするような共感を引き起こす魔法の一種としての機能を果たすという仮説を立てている学者もいます。学者たちはさらに、もしこの画像がそれを作った人たちの生存に不可欠なそのような活動に関連していたならば、その作者はシャーマンまたはその集団の精神的指導者であろうと推測しています。シャーマンとは、物理世界と精霊の他の世界と相互作用する力を持つ個人であり、両者の調和を保ち、未来を予測し、呪文を唱え、病気を治します。

外の世界からの光がすばやく消えていく洞窟へ進み入ることは、もう1つの存在の領域への旅に似ています。描かれた画像は、火によってしか見えず、もう1つの世界からの訪問者を描いたかのように、壁の上で揺れて踊っていたことでしょう。私たちは、その絵画を作った人以外は誰がそれを見たのかは分かりませんが、フランスのカブルレ(Cabrerets)にあるペシュ-メルル(Pech-Merle)洞窟の中のバイソンの葬儀所にある「まだら模様の馬のパネル(Panel of Spotted Horses)」には、手形も存在しており、それは絵画を見ていた別の人がいたことの証拠です。(図1.15)この図は、壁に手を置き、おそらく中空の葦のような物を通して染料を吹き付けることによって作られました。それらは、そこにいた人たちを特定し、記録することを意図しているのでしょうか、それとも、彼らが狩猟者として希望する力、あるいは彼らによるシャーマニズム経験の一部への参加を示すことを意図しているのでしょうか?私たちにはわかりませんが、今日の鑑賞者としてほとんど情報を持っていなくとも、私たちはその絵画の美しさと謎を楽しむことができます。

図1.15 | カブルレのペシュ-メルル洞窟の壁画のレプリカ(Replica of the Pech-Merle de Cabrerets Cave painting), Author: User “HTO”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

フランスのシャルトル大聖堂(1194–1250年)の身廊の床にあるような迷宮(labyrinth)あるいは迷路(maze)は、多くの場所で見つかるものの、私たちがほとんど情報を持たない画像や物体のもう1つの例です。(図1.16)迷宮は迷路に似ていますが、一般的に中央へ向けた複雑でねじれた、ただ1つの道を有するものです。(図1.17)12世紀から15世紀にかけて建てられたヨーロッパの中世のゴシック様式の多くの聖堂の床には、迷宮があります。シャルトル大聖堂の迷宮は13世紀に建てられたもので、直径が42.3フィート(約12.9m)あり、身廊、つまり教会の中心部の広がりを埋めています。フランスの他の聖堂では、イースターのお祝いの際に聖職者が迷宮の上で踊りを演じたという文書が見つかっていますが、シャルトルに関してはそのような記録はありません。しかしながら、それが巡礼、すなわち信仰の旅をしていた教会への訪問者によって、巡回(circumambulate)、つまり歩く道筋として使われていたことは、他の迷宮と共通しているように見えます。多くのゴシック様式の教会にも当てはまるように、シャルトル大聖堂には、聖なる人の身体に属していた、あるいはその一部だったと考えられている遺物がありました。シャルトル大聖堂の場合には、それは聖母マリアが出産の際に着用していたチュニックと思われる衣服です。巡礼者たちはシャルトルに旅して、宗教的な献身の証明としてこの遺物を崇拝しました。そこでは、巡礼者やその他の訪問者たちは、祈りや瞑想状態の中で、迷宮の床石をたどっていたかもしれません。複雑で曲がりくねった道が必然的に中心へと通じるという結果は、祈りが信者を神に導くという確信を反映しています。祈りに夢中になる中での反復的で集中した歩みの動きは、物理的および精神的の両方のレベルで、迷宮の鑑賞者でもあった信者たちの献身的な経験を増強しました。

図1.16 | シャルトル大聖堂の迷宮(Labyrinth at Chartres Cathedral), Author: User “Maksim”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図1.17 | シャルトル大聖堂の迷宮の略図(Diagram of the Labyrinth of Chartres Cathedral), Author: User “Ssolbergj”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

ジョン・ハバリー(John Haberle、1856–1933、米国)はコネチカット州ニューヘイブンで生まれ、ほとんどの人生をそこで過ごした画家でした。彼は「ある独身者の引き出し(A Bachelor’s Drawer)」のようなトロンプ・ルイユ(trompe l’oeil)作品で有名でした。トロンプ・ルイユとは、あまりに写実的であり「目を欺く」ような絵画です。(図1.18)物体をまるで3次元空間にあるかのように2次元表面上に正確に表現することにより、彼は、彼が用いたトリックにわずかの間気づかない鑑賞者を引き込むことを意図した現実の錯覚を作り出すことができました。その絵画が実際には現実の物体に驚くほど正確に似せたものであるとすぐに認識することで、鑑賞者は芸術家の騙しのゲームの参加者になるのです。

図1.18 | ある独身者の引き出し(A Bachelor’s Drawer), Artist: ジョン・ハバリー(John Haberle), Source: Met Museum, License: OASC

写真、紙幣、劇場のチケットの半券、新聞の切り抜き、温度計、櫛など、木製の引き出しの前面にでたらめに固定されているように見える「ある独身者の引き出し」のさまざまな物体は、とても生き生きとしており視覚的に興味深いものです。ひとたび鑑賞者がこれらの日常のありふれたもの — 1日の終わりにあなたがポケットから取り出して、大体は放り捨てようとするもの — を見るように焦点を移し、そしてそれらが何であるかを考えると、私たちはそれらが何を意味するのかを知りたいと思うかもしれません。そして、それはまさに鑑賞者が行うようにハバリーが意図したものです。

この芸術家は、ある重要なものを中心に置くことにより、絵画の多くの細部に細心の注意を払ったことに対して、鑑賞者に報酬を与えてさえいます。そこには新聞記事のいくつかの断片があり、そのうちの1つには「あるニューヘイブンの芸術家が、油絵の中で紙幣をあまりに完璧に描いたために厄介なことになっている」と書いてあります。ハバリーの作品を知った鑑賞者は、その記事が真実であることに恐らく気づいたでしょう。ハバリーは、偽造貨幣の流通を阻止するために1865年に設立された米国のシークレット・サービスによってそのような行為をするのをやめるように警告されていたにもかかわらず、頻繁に彼の絵画の中に紙幣を描いていました。彼の作品を高く評価した人は、ハバリーがその要求を無視していたことを明確にすることによって楽しんでいたと知っていました。

しかし、1890年から1894年に制作された「ある独身者の引き出し」は、この芸術家のトロンプ・ルイユの絵画で流通した最後の作品となりました。それまでの困難な仕事によって、そのような細部をもはや描くことができないほど彼の眼は酷使されていたのです。ハバリーが書き込んだ他の対象のいくつか、そして作品のタイトルそのものが、ある1つの時代の終わりを指しているようです。右上に目立つように配置された「いかにして赤ん坊に名前を付けるか」と題されたパンフレットが、立派な身なりをして威勢の良い口ひげを生やしている紳士を示すはがきを部分的に覆っており、それはまた慎重に覆われた裸の女性の写真の真上に置かれています。それらはすべて、一番下の(描かれた)枠に貼られているように見える小さな写真へとつながります。それは、この芸術家の肖像です。彼は、かつて自由に劇場に出入りしていた独身者であったものの、今や若き父親としての生活を始めたのでしょうか?この手がかりの軌跡は、ハバリーの作品の乾いたユーモアの典型であり、ここでは彼自身に向かっており、鑑賞者が彼と冗談を分かち合うための開かれた招待となっています。

1.6 私たちはなぜ芸術を作るのでしょうか?

認識可能な人間活動の最も初期の証拠のいくつかは、石器や炉のような実用的なものだけでなく、個人の装飾のために使用される装飾的な物体を含んでいます。たとえば、南アフリカの南東部の海岸にあるブロンボス洞窟(Blombos Cave)で見つかった、海の巻貝の殻を突き通すことによって作られたこれらの小さなビーズは、紀元前101000~70000年の中期旧石器時代のものです。(図1.19)私たちは遠い祖先の意図について推測することしかできませんが、彼らの生活には芸術品を想像し生産する慣行が含まれていることは明らかです。私たちがこれらの遠い親戚たちと分かち合っているように見えることの1つは、芸術を作る衝動です。

図1.19 | ブロンボス洞窟のナッサリウス・クラウッシアヌスの貝殻のビーズと復元されたビーズの糸(Blombos Cave Nassarius kraussianus marine shell beads and reconstruction of bead stringing), Author: Marian Vanhaeren and Christopher S. Henshilwood, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

文化は、何が重要かについて同意する人々の集団として定義することができます。今日、多くの異なる人間の文化とサブカルチャーが共存しています。私たちはそれらの中に、芸術と、日常生活における芸術の場所とについての幅広い考え方を見つけることができます。たとえば、オーストラリアのアボリジニの芸術家の主な目標の1つは、彼らの周りの世界を「地図にする」ことです。(図1.20)樹皮の上に描かれたこの絵画では、絵で表されたシンボルが、砂漠の砂を表す赤や太陽を表す黄色のような色がつけられた、狩りをする偉大な蛇の物語を伝えます。(図1.21)異なる材料ではあるものの同様の方法で、曼荼羅として知られる仏教の砂絵は、宇宙の地図を提示します。これらの循環図はまた、個の全に対する関係や、人間の意識のレベルを表現しています。(図1.22)

図1.20 | オーストラリアのアボリジニの「地図」のシンボル(Australian Aboriginal “Map” Symbols), Author: ジェフェリー・レミュー(Jeffrey LeMieux), Source: Original Work, License: CC BY-SA 4.0
図1.21 | 砂絵(Sand Painting), Author: Sailko, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図1.22 | 時の輪カーラチャクラの砂の曼陀羅(Wheel of Time Kalachakra Sand Mandala), Artist: ロサン・サムテン(Losang Samten), Author: Steve Osborne, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

芸術を作る必要性は、考え方や感情を表現する「個人的な必要性」と、共通の価値観を主張する「共同体の必要性」という2つの大きなカテゴリーに分けることができます。この節では、私たちが遭遇する芸術作品の中の芸術家の意図をより明確に理解し識別するために、これらの動機のいくつかを見ていきます。

私たちは、すべての人が独自の人生を送っていることを認識するべきです。そのため、すべての人は、他の誰も見たことのない世界について何らかのことを知っています。今日の芸術家の仕事とは、彼らの能力に最も適した芸術の材料や媒体を使って、個人として、あるいは共同体の一部として彼らが知るようになったことを伝えることです。他の人の作品を複製することは良い訓練ではありますが、それはすでに明らかにされていることを単に再加工しているだけです。しかしながら、独創性は現代芸術においてより高く評価されています。ジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe、1887–1986年、米国)は、以下のように書いたときに、この問題に関する彼女の見方を説明しました:(図1.23)

図1.23 | シリーズ1、ナンバー8(Series 1, №8), Artist: ジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe), Author: User “Prosfilaes”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

1915年の秋に、私の材料 — 木炭、鉛筆、ペン、インク、水彩、パステル、油彩 — を言語として使用することを除いては、私が教えられてきたことは、私にとってはほとんど価値がないという考え方を初めて持ちました。私はとても幼いときにそれらを使いこなせるようになっていたので、それらは私が簡単に扱える別の言語でした。しかし、それらを使って何を言いたいのでしょうか?私は他の人のように仕事をするよう教えられていましたが、慎重な思考の後、私はすでになされたことをやりながら自分の人生を過ごすつもりはないと決めました。…私が絵を描くときに、描きたいことを描かず、言いたいことを言わなかったとしたら、私は非常にばかな愚か者であると決断しました。[5]

[5] O’Keeffe 1976, unpaginated.

1.6.1 個人的な創作の必要性

多くの芸術作品は、感情、考え方、または概念を視覚的な形にするという個人的な決定から生まれます。さまざまな感情は大きく異なるため、結果として得られる芸術には幅広い形があります。この芸術へのアプローチは、経験の中にある個人の喜びから来ています。このような喜びの非常に基本的な例として、落書きが思い浮かびます。アクション・ペインティングとしても知られているポロックによる抽象表現主義の作品は、表面上は落書きに似ているかもしれませんが、それ以上のものです。(秋のリズム-ナンバー30(Autumn Rhythm-Number 30)、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock): http://www.metmuseum.org/art/collection/search/488978?=&imgno=0&tabname=online-resources; ナンバー10(Number 10)、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock): https://www.wikiart.org/en/jackson-pollock/number-10-1949)それらは多くのレベルの芸術的思考の結果でしたが、基本的なレベルでは、描くという行為の喜びと、その行為が可能にする個人的な発見の喜びとの組み合わせでした。

いくつかの芸術は個人的な解説を提供することを意図しています。個人的な視点や経験を示す芸術作品は、この目的を達成することができます。2000年に出版されたマルジャン・サトラピ(Marjane Satrapi、1969年生まれ、イラン)によるグラフィック・ノベル「ペルセポリス(Persepolis)」は、1979年のイラン革命での経験と思考について詳しく語っており、そのような個人的な解説の1つの例となっています。(楽園への鍵(Keys to Paradise): https://imaginedlandscapes.files.wordpress.com/2014/02/pi-102.jpg)サトラピは、芸術制作への新しいアプローチであるグラフィック・ノベルの有数の主導者です。イラン社会のさまざまな部分が異なった形で戦争の影響を受けていることを皮肉に批判する中で、サトラピは、戦闘地域の爆発で死にゆくイランの若者のねじれた像を、彼女の高校のパーティーでのダンスの動きと比較しています。

このように、芸術作品は、自分自身の経験を探求する手段として、つまり隠された感情がより明確に認識され理解されるように表面に浮かび上がらせる手段として、創作されることがあります。このプロセスのために用いられる用語がカタルシス(catharsis)です。

カタルシスを起こさせる芸術作品は、テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault、1791–1824年、フランス)による「メデューズ号の筏(The Raft of the Medusa)」のように、悲しみ、善、悪、不公正といった認識から生まれる可能性があります。この作品は、ある船の沈没を受けた、当時のフランス政府に対する告発でした。(図1.24)一方、ホイッスラーが「芸術のための芸術」の支持者になったとき、彼は外的な腐敗から芸術を「浄化」するために、現代の芸術的・社会的基準のような外的影響を拒絶しました。(図1.18参照)芸術の創造から影響を取り除くという考え方は現代的なものです。19世紀以前に作られた芸術の多くは、大きな共同体の中にある宗教的、政治的、文化的な権威による支持と指導の下で生産されました。

図1.24 | メデューズ号の筏(The Raft of the Medusa), Artist: ジャン・ルイ・テオドール・ジェリコー(Jean Louis Théodore Géricault), Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

1.6.2 共同体の必要性と目的

歴史や地理を問わず、宗教的および政治的共同体は、内部や外部から常に圧力を受けているにもかかわらず、安定して残っています。共同体が安定を維持する1つの方法は、その共同体内の共通の価値観や経験を特定し、人々を結集させるような芸術作品を制作することです。

建築、記念碑、壁画、および偶像は、芸術へ共同体が参加するための目に見えるガイドであり、しばしばイメージを作り上げる慣習を使用します。慣習とは、社会的な文脈の中で考え、話し、または行動するための合意された方法です。視覚的な慣習を含む多くの種類の慣習があります。視覚芸術の1つの良い例は、方向に対する慣習的な感覚です。西洋の文化では、文章は通常​​、左から右に読まれます。したがって、芸術作品を見るとき、西洋の鑑賞者は、左上から絵に「入り」、右へと進む傾向があります。画像の左側に表れる物体は「先のもの」と考えられ、右側に表れる物体は「後のもの」と考えられます。アジアの文章は異なる慣習に従っており、右から左に読まれる傾向があるため、アジアの鑑賞者は無意識のうちにその逆を想定するでしょう。

建築物、特に公共の建物は、共同体の価値観を表しています。裁判所、図書館、町の公会堂、学校、銀行、工場、刑務所はすべて共同体の目的のために設計されており、その形状は機能に強く関連しています。その建築的な形状は慣習へとなります。古い様式の建築を使用することは、以前の文化の価値観を参照することになりえます。たとえば、米国では、多くの政府の建物は、強さと安定性を象徴する古典的なギリシャとローマの柱を使用した、堂々とした石造りのファサードをもって設計されています。米国議会や最高裁判所(図1.25)などの連邦政府の建物は、共同体が、古代ギリシャとローマの美徳と誠実の理想を、それらのより現代的な建物内の活動へと関連付けるように設計されています。

図1.25 | 合衆国連邦最高裁判所の建物(U.S. Supreme Court Building), Photographer: 米国政府職員(US Government Employee), Source: Architect of the Capital, License: Public Domain

しかしながら、多くの20世紀の建築家たちは、アメリカの建築家ルイス・サリヴァン(Louis Sullivan、1856–1924年、米国)の 「形態は機能に従う」という指導原則に従っています。ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius、1883–1969年、ドイツ)は、彼のバウハウス(Bauhaus)のデザインの中で、余分な装飾を拒絶し、その代わりに空間と材料の効率的で機能的な使用に焦点を当てました。(図1.26)1919年から1933年にかけてのドイツの芸術、工芸、建築の主導的な学校であったバウハウス(つまり建築の家)の教えは、その時以来、屋内と工業的なデザインに対して国際的に強い影響を与えてきました。

図1.26 | ドイツのデッサウにあるバウハウスの建物(The Bauhaus Building in Dessau, Germany), Author: User “Mewes”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain

共同体は、記念碑の中で公的な美徳を示した人物を顕彰することにより、市民にそのような資質を思い起こさせることができます。そのようなものとしては、古代から、一般的に台座、柱、または建築物の内部に配置されたそのような個人たちの彫像がありました。アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio、1435–1488年、イタリア)による「バルトロメーオ・コッレオーニの騎馬像(The Equestrian Statue of Bartolomeo Colleoni)」はこの種の記念碑の良い例です。(図1.27)イタリア・ルネサンス期に、イタリアの都市ヴェネツィアのために制作された馬の背に乗るコッレオーニの彫刻は、彼が大胆かつ勝利を得た戦士であることを示しています。しかし、オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin、1840–1917年、フランス)による「カレーの市民(The Burghers of Calais)」やマヤ・リン(Maya Lin、1959年生まれ、米国)による「ベトナム戦争記念碑(Vietnam War Memorial)」は、その長年の規範に違反する記念碑です。ロダンは、都市を救うために犠牲として自分自身を捧げた6人の男性を人間化するために、この富裕な市民(burgher)、つまり指導的な市民の像を地面に置きました。彼は、その市民たちの内面の苦闘を鑑賞者の目線の高さに引き下げるためにそうしました。(図1.28)リンの記念碑は地面の高さより下にあり、ベトナム戦争で死亡したおよそ58000人のアメリカ人の名前が表示されます。(図1.29)これらの選択は、ベトナム戦争が当初は「表面下で」行われた、すなわちほとんどのアメリカ人には知られておらず、そのコストは匿名の兵士ではなく実際の個人によって支払われたことを訪問者に思い起こさせるという信念を反映しています。これらの2つの芸術作品は、その構想と実行において型破りで独創的です。

図1.27 | コッレオーニの騎馬像(Colleoni on Horseback), Artist: アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio), Author: User “Waysider1925”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0
図1.28 | カレーの市民(Burghers of Calais), Artist: オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin), Author: User “Razimantv”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY 3.0
図1.29 | ベトナム戦争戦没者慰霊碑の壁(Vietnam Veterans Memorial Wall), Artist: マヤ・リン(Maya Lin), Author: User “Mariordo”, Source: Wikimedia Commons, License: CC BY-SA 3.0

古代から、壁画、つまり壁に描かれた絵画は、公的な場所と私的な場所の両方で作られてきました。古代エジプト人は、過去の指導者を追悼するために、壁の絵画の中で言葉と画像を組み合わせました。これらの壁画の一部は、指導者が人気を失ったときに意図的に消去されました。ローマの壁画は、家や礼拝堂の中でより頻繁に見られました。P・ファニアス・シニスター(P. Fannius Synistor)のヴィラの寝室にあるローマの壁画が、イタリアのポンペイで発掘されました。(図1.30)それは、まるでヴィラ、つまり田舎の邸宅の内側から見たかのように、(描かれた)柱の列の間に風景と建築物の景色を描写しています。

図1.30 | ボスコレアーレにあるP・ファニアス・シニスターのヴィラのクビクルム(寝室)(Cubiculum (bedroom) from the Villa of P. Fannius Synistor at Boscoreale), Author: Rogers Fund, Source: Met Museum, License: OASC

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452–1519年、イタリア、フランス)による「最後の晩餐(The Last Supper)」と、ミケランジェロ(Michelangelo、1475–1564年、イタリア)によるシスティーナ礼拝堂の天井画は、イタリア・ルネサンス時代の壁画です。それらは、修道院の食堂の壁のため(図1.31)、そして教皇の礼拝堂の天井のために作られました。(図1.32)どちらも、この時代のヨーロッパにおける主導的な宗教的・政治的組織であるカトリック教会の教えにとって重要な場面を描写しています。当時は多くの人々が読み書きができなかったため、画像は宗教的な歴史や教義について彼らを教育する上で重要な役割を果たしました。

図1.31 | 最後の晩餐(The Last Supper), Artist: レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci), Author: User “Thebrid”, Source: Wikimedia Commons, License: Public Domain
図1.32 | システィーナ礼拝堂の天井画(The Ceiling of the Sistine Chapel), Artist: ミケランジェロ(Michelangelo), Author: Patrick Landy, Source: Wikipedia, License: CC BY 3.0

より現代的な壁画の例は、今日では世界中で見ることができます。ディエゴ・リベラ(Diego Rivera、1886–1967年、メキシコ)は、メキシコとアメリカで大規模な壁画を制作した世界的に有名な芸術家でした。彼による「デトロイト産業(Detroit Industry)」の壁画は、デトロイト美術館に設置された本来は27枚のパネルで構成されています。(図1.33)2つの最も大きなパネルは、フォードモーターカンパニーの工場でV8エンジンを製造している労働者を描いています。他の小さなパネルは、現代の産業文化に関わる科学、技術、医学の進歩を示しており、概念的思考と肉体労働は相互に依存しているというリベラの信念を表現しています。これらの作品は、現在、国定建造物とみなされています。ジュディス・バカ(Judith Baca、1946年生まれ、米国)によって設計され、数百人の共同体メンバーによって制作された「ロサンゼルスの大壁(The Great Wall of Los Angeles)」は、高さ13フィート(約4メートル)で、市街の中を半マイル(約800メートル)以上にわたって続いています。(ロサンゼルスの大壁(The Great Wall of Los Angeles)、ジュディス・バカ(Judith Baca): http://sparcinla.org/wp-content/uploads/2012/12/great-wall_m.jpg)その主題は「女性や少数派の目を通して見た」南カリフォルニアの歴史です。[6]この壁画は、人々に情報を伝え、教育するための壁画で公共の場を装飾するという、ロサンゼルスのより大きな活動の一環です。

[6] Joyce Gregory Wyels, “Great Walls, Vibrant Voices,” Americas 52, no. 1 (2000): 22.

図1.33 | デトロイト産業、北壁(Detroit Industry, North Wall), Artist: ディエゴ・リベラ(Diego Rivera), Author: User “Cactus.man”, Source: Wikipedia, License: Public Domain

偶像(アイコン)という用語は、ギリシャ語の eikon つまり「似ていること」という語から来ています。この言葉は、宗教的崇拝の指針として使用される画像や似姿を指します。偶像に表された神聖な人物は、信者たちによって特別な癒しの力やその他の肯定的な影響力を持っていると考えられています。偶像はまた、資質や美徳を象徴的に表す人や物であることもあります。良い例は聖セバスチャンの画像です。聖セバスチャンは、キリスト教に改宗したローマの親衛隊の隊長であり、射手の部隊の前で死刑を宣告されました。(図1.34)彼は傷を受けても死なず、初期のキリスト教徒は、この奇跡が彼らの宗教の力のおかげであると考えました。(彼は後に石打ちで死にました。)中世後期のヨーロッパで疫病が流行する中で、彼の奇跡的な治癒の伝説とこの画像が治癒的な力を持つという希望のために、聖セバスチャンの画像は定期的に病院から依頼を受けました。

図1.34 | 聖セバスチャンの殉教(The Martyrdom of St. Sebastian), Artist: ジャチント・ディアーノ(Giacinto Diana), Source: Artstor.org, License: Public Domain

非宗教的または世俗的な偶像の1つの例は、インディアナ州のノートルダム大学の有名なアメリカンフットボールのコーチ、クヌート・ロックニー(Knute Rockne)の銅製の胸像でしょう。(図1.35)多くの人がこの銅の彫像の鼻を擦ると幸運になると考えており、試験前の学生によって常に磨かれているために、そこは明るい金色に輝いています。

図1.35 | クヌート・ロックニー(Knute Rockne), Artist: ニソン・トレゴー(Nison Tregor), Author: Matthew D. Britt, Source: Flickr, License: CC BY-SA-NC 3.0

私たちは、芸術とは何か、芸術家とは誰なのか、なぜ人々は芸術を作るのかという質問について非常に簡単に触れただけです。歴史は私たちに、人々がさまざまな時代や場所で、芸術と芸術家を違った方法で定義してきたことを示していますが、人々はどこにいてもさまざまな理由で芸術を作っていることも示しています。そして、これらの芸術の対象物は、共通の目的を共有しています。それらはすべて、個々の芸術家や大きな共同体によって評価される感情や考え方を表現することを意図しています。

1.7 後の章で取り上げられる概念

1.7.1 芸術の構造:形式とデザイン

この文章を読むために、あなたは、個々の文字、単語を構成する組み合わせ、文の構造、ある考え方から次の考え方へと移動する複数の文章の編成などを学ぶことに、かなりの時間と労力を費やしてきました。あなたはそれらの技能のすべてを使って、書かれた言葉の意味を読み取り理解します。そしてそこから、自分自身の考え方、知識、経験を取り入れて、あなたが読んだことを広げ、それにさらなる意味をもたらすことができます。

私たちは、芸術を見て理解する方法を学ぶ際に、同様のプロセスに従います。第2章:芸術の構造 — 形式とデザインでは、私たちは最初に芸術の形式と、芸術を創造する際に使われる材料とプロセスを定義することから始めます。次に私たちは、線、色、形などの芸術の要素やデザインの原則、またはそれらの要素を組み合わせて構成を作り上げる方法について検討します。この新しい語彙を使用することで、私たちは、私たちが見ていることをよりよく理解し、話すことができるようになり、私たちの周りの世界にある芸術や建築との交流経験が豊かになります。

1.7.2 芸術に使われる材料の意味

どんな芸術作品を創作する上でも基本的な選択肢の1つは、それを作るための材料です。その材料は、芸術の重要性を上げたり下げたりし、価値を上げたり下げたりし、さらには、実際の作品の形態に固有なものではない様々なつながりをもたらすかもしれません。第3章:芸術に使われる材料の意味では、私たちは、採用された媒体 — つまり材料 — に基づいた芸術作品の金銭的価値と文化的価値の両方と、それらの価値が決定される多くの源のいくつかを検討します。

1.7.3 芸術を記述する:芸術の正式な分析、タイプ、様式

第2章:芸術の構造 — 形式とデザインを読んで構築した語彙の構成要素を用いて、第4章:芸術を記述する — 芸術の正式な分析、タイプ、様式では、私たちは芸術作品を批判的に分析する方法、または体系的に記述する方法を議論します。私たちは、芸術作品のデザインの要素と原則、自然な世界の相対的表現に基づいてそれを分類する方法、およびその外観や様式に基づき、ある作品を他のものとグループ化する方法、または他の芸術家の作品とグループ化する方法について検討します。

これらの道具は、私たちが芸術作品についてより多くを学ぶのに役立つだけでなく、それらは個々の作品の構成要素や、同じ文化と時代や異なる文化と時代におけるそれらの構成要素と芸術との関係に対するより深い理解を提供することにより、私たちの芸術に対する審美眼を高めます。

1.7.4 芸術における意味:社会-文化的な文脈、象徴性、図像学

芸術が作られた、歴史的、社会的、個人的、政治的、科学的な理由を勉強することは、その意味と象徴性を理解する上でさらに重要な、そして鍵となる情報を私たちに提供します。芸術作品は、それが作られた文化の一部です。すべての芸術家は(彼らが生きている時代のいくつかの側面に対して反抗することを望む人たちでさえも)、周囲の世界から影響を受け(そして、おそらく制約され)ています。第5章:芸術における意味:社会-文化的な文脈、象徴性、図像学では、私たちは、芸術作品の創造と理解に影響を与える多くの要素について考察します。そして、私たちは、作品の内にこめられた意味、すなわち象徴性を、それが作られた文化の中で作品が何を意味したかについてのより深い理解を提供する方法として探求します。

1.7.5 芸術を私たちの生活に結びつける

芸術が意味を持つためには、芸術は私たちと私たちの生活とにいくらかの関係がなければなりません。芸術家や芸術作品を制作するために彼らを雇う人たちは、そうするための無数の理由を持っています。第6章:芸術を私たちの生活に結びつけるの中で、私たちはまず、芸術の価値が伝統的に決定されてきた別の方法の理解を得るために、歴史的観点から、美学、すなわち芸術の中にある美の原理と鑑賞についての研究を見ていきます。私たちはまた、芸術が果たす役割を探求します。それは、表現の手段、包含または排除の象徴、コミュニケーションの道具、あるいは教育の媒体であるかもしれません。私たちが芸術作品とのつながりを見つけると、私たちはそれに魅了され、豊かになります。

1.7.6 建築の形式

人間は、先史時代から現在に至るまで、世界中のあらゆるところで多種多様な建築形式を作り出してきました。人間の歴史において継続的に建築が存在してきたことは、建築が作られる​​社会と個人との両方にとって構造が果たしている極めて重要かつ多数の役割を示しています。第7章:建築の形式では、私たちは、様々な文化の中での、場所や建物に関するデザインと建設における目的、機能、意味を検討します。建設された形式の歴史は、近い、あるいは遠い祖先の必要性、信念、原則について私たちに何を教えてくれるでしょうか?これらの質問に答えることは、歴史を通しての建築の役割や、私たち自身の時代にそれがどのように機能するかを明らかにします。

1.7.7 芸術とアイデンティティー

私たちが芸術とアイデンティティーを考えるとき、今日ではしばしば、私たちは芸術家のアイデンティティーを指しています。その時に私たちが意味しているのは、芸術家の個人的なアイデンティティーや、芸術家が個人的なレベルでコミュニケーションしようとしているものです。しかしながら、個人のアイデンティティーという概念はすぐに、ジェンダー、民族性、精神的信念、国籍など、類似の特性を持つ他の人たちと芸術家とを関連付ける側面を含むように拡大します。そこから、私たちは氏族、文化、国民、そして特質や財産を共有するその他のグループ内でのアイデンティティーについて話を始めることができます。

第8章:芸術とアイデンティティーでは、私たちは、どのようにしてアイデンティティーの概念が芸術家や彼らが創作する芸術に影響を与えるのかを見ていきます。芸術家が個人的、私的な感情を表現しようとしているのか、あるいはある民族の個性を捉えようとしているのかにかかわらず、彼らはまず、その特徴が何であるかを定義し、選び出したものが芸術作品の中でどのように表現されるのかを決定する必要があります。私たちは、材料、サイズ、観衆の影響について議論するために、小さな手持ちの物から大規模な建築作品までさまざまな形のこれらのアイデンティティーの視覚化を見ていきます。そして、私たちは、これらの対象物の創造を取り巻く環境を検討し、芸術におけるアイデンティティーを定義し、割り当てる際の社会的、宗教的、政治的な力が果たす役割を調査します。

1.7.8 芸術と力

歴史を通して、芸術は力を持つ人々のコミュニケーション手段として使われてきました。たとえば、支配者が自分自身の描写を発注するとき、彼らは認識可能な肖像画を求めているのかもしれませんし、そうでないかもしれませんが、その彫像や絵画は、支配者が、その作品を見たものに対して支配者の地位、富、特質、すなわち、支配者の力の指標について知ってほしいと望むものを確かに伝達するでしょう。これらの力のしるしは、支配者の自国民を安心させたり、支配者が自由に使える力について潜在的な敵対者に警告するために使用したりすることができます。支配者や他の権威ある地位にいる人は、その力の誇示を、物理的な強さや支配の身体的な表示を超えて、壁画、彫像、建物などのより強力で恒久的な記念碑へと拡大する能力を持っています。

芸術の力は、力を掌握している人の使用をはるかに超えています。芸術は、権力をほとんど持たない人々が、影響力を築き、力を増やし、希望を与えるために使用することができます。それは、指示を下す立場にいる人たちに対する抗議の形として使用することができます。そして、それは変化を誘発するために使うことができます。第9章:芸術と力では、私たちは、芸術のことを、権力に対して意見を述べ、権力を獲得する道具として、そして、力と力の関係を伝える手段として見ていきます。私たちは、一般的な視覚戦略を特定し、時間の経過や異なる文化における類似点と相違点に注目します。

1.7.9 芸術と儀式的生活:空間と儀式的物体についての象徴的意味

人間は、私たちの未来に起こることを推測するために、私たちの思考を予測する能力を持っています。私たちは自分自身が死にゆくものであることを考え、自分自身の生命を超えた存在を熟考することができます。そうすることで、私たちは絶望にさらされたり、歓喜の高みに持ち上げられたりするかもしれません。絶望の時には、芸術はお守り、すなわち私たちが恐れている事柄や出来事に対して、その出来事を避けることができるよう幸運をもたらし、保護を与える力を持っていると信じられている物としての役目を果たします。病気や死のような不可避の物事の場合、芸術は苦しみをやわらげ、あとに残されたものへの慰めに使われます。私たちはまた、私たちが大切にし、尊敬するものに敬意を表すために芸術を用います。最も高品質な材料を利用して創意工夫と最高の技能で作られた作品によって、私たちは恐怖だけでなく、私たちの希望に対しても表現を与えます。

第10章:芸術と儀式的生活:空間と儀式的物体についての象徴的意味では、私たちは、死を免れない生き物として自分自身を理解するために芸術がどのように役立つかを見ていきます。そしてまた、私たちが存在の中に有限または無限の概念としての意味と目的を見つける努力において、芸術が私たちの精神的な生活の中で果たしている役割を見ていきます。

1.7.10 芸術と倫理

芸術は私たちに新しい考え方を紹介することができ、私たちが自分自身や他の人について考えることに影響を与えることができます。芸術は私たちに情報を与え、私たちを変えることができます。このような大きな影響を与える可能性は、芸術家、フォトジャーナリスト、または博物館のキュレーターたちに、たとえば独創性や真実性などの特定のガイドラインの下で行動する義務を課すでしょうか?もしそうであれば、私たちは何が独創的な芸術かをどのように定義するのでしょうか?また、私たちは誰の真実を語るのでしょうか?

第11章:芸術と倫理は、芸術の世界における芸術家やその他の人たちが、彼ら自身とその芸術をどのように提示するかにおいて直面しているいくつかの問題を私たちに紹介します。

1.8 先へ進む前に

重要な概念

ある主題を学ぶときには、その主題の実用的な定義を持つことが重要です。私たちの主題は芸術です。ここで概説される芸術を定義する4つの歴史的試みには、それぞれ限界がありました。古代ギリシャの模倣は、対象を再現しない芸術を除外しています。トルストイのコミュニケーション理論は検証不可能であり、観客に依存しています。ベルの重要な形式は循環論的推論であり、ディッキーの芸術世界理論は、芸術そのものについてではなく、芸術が何であるかを決定する権限を誰が持っているかについてのものです。この本で使用されるうまく機能する芸術の定義は、「心から世界へ」です。この概説で使用される画像は、芸術作品とみなされています。学生の仕事は、芸術作品を認識し、分析し、解釈し、この理解を一貫した世界観に統合することです。理解へと向けたこの努力の目的は、新しい多様な視覚芸術の形式の価値を認識していくことです。1つの結果は、芸術のより深い理解を得るとともに、単純に芸術を見るのを楽しむことです。

芸術は、人間が見られるあらゆるところに見出されます。芸術は表現という基本的な人間の必要性を満たします。この必要性は、個人的な必要性と地域社会の必要性に細分することができます。個人的な必要性には、喜び、装飾、政治的および宗教的献身のために、そして個人的なカタルシスのために作られた芸術が含まれます。共同体の必要性には、建築、記念碑、壁画、宗教的および世俗的な偶像が含まれます。

自分で答えてみよう

1.過去に人々が芸術を定義した文章で述べられている4つの方法を列挙し、説明してください。

2.この本で使用されるうまく機能する芸術の定義を簡単にもう一度述べてください。

3.ジュークシスとパルハッシオスについての古代ギリシャ神話の意義とは何ですか?

4.芸術の4つの歴史的定義のそれぞれは、真実がどこで見つかるかについて人々がどのように考えたかに関して、何を明らかにしていますか?

5.紀元前100000年頃の海の巻貝の殻のネックレスと、たとえば真珠のネックレスなどの個人的な装飾の現代的な慣行との間の関係を比べてみてください。

6.文字を有さない文化でおそらく画像が重要であった理由を推測してください。宗教儀式で使われる画像について関心を抱くというのはどのようなものだったでしょうか?あなたはこの本に書かれている以外の非宗教的な偶像の例を特定できますか?

7.ほとんどの初期のアメリカの連邦政府の建物が、古典的なギリシャとローマの柱と石造りのファサードを使用して建てられた理由を推測してください。なぜ20世紀の建物は、古典的な古代建築をほとんど参照せずに建てられたのでしょうか?この建築の変容によって、どのような考え方が失われ、どのような考え方が得られたのでしょうか?

8.ヴェロッキオとロダンの記念碑が置かれた方法、つまり片方は高い台座に置かれ、もう片方が地上の高さに置かれたことを比較することによって、公的な記念碑の慣習的な提示方法の変化を考えてみてください。この変化は、英雄や記念碑の考え方の変化について何を示唆していますか?

1.9 重要語句

建築:建物やその他の施設構造のデザインと建設。

芸術の芸術世界理論:芸術世界が芸術であると言っているものが芸術である、として芸術を定義するアプローチ。

カタルシス:鬱積した感情を解放し個人的な変化をもたらす過程。

巡回:「歩き回る」こと — 構造物の内側または外側に設定された経路に沿って、聖なる場所を回るという儀式の実践。

芸術のコミュニケーション理論:芸術家から観衆への感情の移転として芸術を定義するアプローチ。

慣習:何かが通常行われる方法についての集団の合意。

偶像:しばしば宗教的であるような何らかのものを代表するとみなされる人物あるいは物。

芸術の制度理論:芸術の芸術世界理論の別の名前。

迷宮:迷路に似ているが、一般に中央へ向けた複雑でねじれた、ただ1つの道を有するもの。

模倣:知覚された現実の複製として芸術を定義するアプローチ。

記念碑:有名な人物や出来事を記念するための彫像やその他の構造物。

壁画:壁に直接作成された芸術作品。

遺物:聖なる人物の身体に属していた、あるいはその一部であったと考えられている物体。

世俗:宗教的または霊的な内容が欠けており、宗教的規則に拘束されていないこと。

重要な形式:私たちが感じたものとして芸術を定義するアプローチ。

象徴性:考え方や質を表現するためのイメージの使用。

トロンプ・ルイユ:あまりに写実的であり「目を欺く」ような芸術。

ジュークシスとパルハッシオス:現実を最も忠実に複製することによって、最も偉大な芸術家の称号を求めて競う2人の画家についての古代ギリシャ神話。

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