TRANSCENDENCEのStoryでも触れてはいますが。少し。
先に公開されたTRANSCENDENCEでは、人格(?)の計算機への転写(アップロード)が描かれていました。
こういう人格の転写というアイディアがいつからあったのかは分かりません。星新一の作品にあったと思いますし、宇宙鉄人キョーダインはやってましたし、Max Headroomでもやってました。それらは、個人の人格などの転写です。
さて、きっちり計算しようとすると面倒なので、wikipediaの「大きさ順の太陽系天体の一覧」のデータのみを使います。その他にも面倒なので構成する物質やその比率を無視し、質量のみを考えます。また、小惑星帯にあるであろう有象無象や、オールト雲とかも基本的に無視します。
さて、それで何を言いたいのかというと、太陽系内の物質でリングワールドを構築することは可能なのかということです。
知性定理においては、知性をなす事柄による構造は位相的構造、あるいは位相変換(これは構造主義でまじにある言葉です)によって、様々な知的存在における知性をなす構造を対応付けられるという設定を用いています。では、菌と人間で、そのような位相変換が可能でしょうか? 可能かもしれません。では、菌と人間に大きな違いはないのでしょうか
まぁ知性とか、知性に見られる構造とか考えると面倒です。ただし、そういう位相変換が不可能ではないことは想定できると思います。では、やはり大きな違いはないのでしょうか?
アジモフのロボットもの、特に「我は、ロボット」と「聖者の行進」で、スーザン・キャルヴィン博士の職業は”ロボット心理学者”でした。「ロボットの心理学?」とおかしく思われる方もいるかもしれません。
さて、私が「考え方(ロジック)は1つなのか?」と「人間は考えているのか」と「人格の転写とか、知能の転写とか」あたりで触れた事柄があります。大雑把に、「人間が考えていると思っている事柄は、実際に考えているのか。それとも考えているという幻想なのか」というような話です。
マインズ・アイ[新装版], D. R. ホフスタッター, D. C. デネット, TBSブリタニカ, 1992.
8年めにおいて、つぎのように書きました。
「彼らにはそういう事―知ること、考える事―に対する抑えられない衝動があるんだな。それらは全て彼らによるものだというのか?」
この「衝動」、結構昔からお気に入りなのですが、なんでお気に入りなのか分からなかったんです。先日、上記の「マインズ・アイ」を再読していたところ、「たぶん、これでだ」…
日経サイエンス 2014年10月号, 日経サイエンス社, 2014.
この特集で、「センサー網が実現するESP」という記事、それとその中に「”存在”を再定義する」という項があります。
先日「マインズ・アイ[新装版]上・下」〔”The Mind’s I”〕を再読してたわけです。それでなんとなく思うところがあります。
ちょっと長いです。高校時代の先生が言ってたことから、色々と。
大学の程度は名前で簡単に見分けられるとのこと。地域名が入っている大学の場合、「その地域が狭い方が広い方よりもまとも」と言ってました。他意はありませんが、その先生が言ってた例で、「東京大学」や「早稲田大学」は「地域が狭い」。対して、「日本大学」は地域が広い。まぁ「亜細亜大学」とかありますけど、広いですね。あと、「学院」がついている大学はちょっとなぁとも言っていました。その先生が言っていたことで、私としては…
Well, I use data on 「大きさ順の太陽系天体の一覧」 in Wikipedia(In Japanese. You may find same kind data in your language.) I use only mass. I never think materials and its ratio. And I ignore asteroids and others.
あちこちの神話では、テキスト上においてその比較的早い時点で、何かと何かを分けるという話が入っています。
現実世界も、あちこちで何かと何かを分けるという行為を行なっています。某テーマパークでは、日常と切り離されていることを売りにしています。某テーマパークだけでなく、一般のテーマパーク、アミュージュメントパーク、遊園地、一括で同じでしょう。快や楽(このstoryでは”楽”はあくまで”楽しい”という意味で使います)と、通常とを分けているでしょう。